【石平のChina Watch】
5月28日、中国の各メディアは習近平国家副主席の注目すべき発言を報じた。中央党校の校長を兼任する彼は入学式で行った講話の中で、「指導的立場にある各級幹部」に対する党からの要望として、「実情にそぐわないスローガンを持ち出さないこと、段階を飛び越えた目標を掲げないこと」を求めたという。
一見変哲のない発言のように聞こえるが、中国の政治事情に詳しい人ならば「おや」と思ってしまうはずだ。三十数年前にトウ小平の改革が始まって以来、中国の政治文化の中では、「実情にそぐわないスローガン」や「段階を飛び越えた目標」は常に急進的な改革に対する批判の言葉として使われているからだ。
今、温家宝首相や汪洋広東省党委書記を中心とする党内改革派が「政治改革」のスローガンを掲げてまさに「急進的な」改革を進めようとしているその時、次期最高指導者の習氏が前述の言葉を発したことは当然、改革派の主張に対する牽制(けんせい)として理解されるべきである。
これは「政治改革」の大合唱が党内で巻き起こって以来、沈黙を守ってきた習氏が突如「不意打ち」をかけてきたような事態だ。国内の一部メディアが中央党校での習氏の講話を報じた際、わざと上述の発言を選び出してニュースのタイトルにしたのも、この発言の意味深長さを察知した上での扱いであろう。
5月21日に北京で開かれた別の党会議での習氏の発言を見てみよう。習氏はここで、全国の共産党員に向かって「共産主義の遠大なる理想の揺るぎない信仰者たること」を求めたが、この発言もまた国内の注目の的となっている。
共産党の高級幹部が党員に対して「共産主義の理想を信仰せよ」と求めるのは一見当たり前のように見えるが、実はこの二十数年間、資本主義経済の発達にしたがって、党と政府の指導者たちの口から「共産主義の理想」という古色蒼然(そうぜん)の言葉は徐々に聞こえなくなっている。温家宝首相は口を開けば「民主主義」や「人権」を語ることがあっても、「共産主義」という言葉をめったに使わないので有名だが、胡錦濤国家主席にしても、たとえば昨年7月1日に中国共産党成立90周年を祝賀する大会で彼が1万字以上の長文の講話を行った中で「共産主義」や「共産主義の理想」に触れることはつい一度もなかった。
このような流れの中で、習氏一人だけが死語となったはずの「共産主義理想」を再び持ち出して強調していることは逆に彼が次期最高指導者として現政権と異なる独自の政治理念を固めていることを表している。「政治改革」に対する前述の批判とあわせて考えると、それが何であるかがよく分かってくるはずだ。
要するに「太子党(党高級幹部の子弟グループ)」の一員としての習氏は、自分の親の世代が命をかけて作り上げた共産党政権に特別の愛着心を持つが故に、政権の原点であるはずの「共産主義理想」に執着する一方、政権の基盤を揺るがしかねない「政治改革」には大変な警戒心を持っているのである。
「原理主義的保守派」というのはまさに指導者としての習氏の重要なる一側面であるが、この点では、彼は同じ「太子党」として「毛沢東回帰」を唱えるかの薄煕来氏とは一脈相通じるところがあろう。
そして薄氏が失脚した今、習氏は党内の「保守派」の中心として本格的な「政治改革」の動きに歯止めをかける役割を担っていくだろうと思われる。ポスト胡錦濤の共産党最高指導部の中で、「改革VS反改革」の対立軸が出来上がりそうである。
◇
【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。