【消えた偉人・物語】光明皇后
「天皇、皇后両陛下は13日、東日本大震災の津波で被害を受けた住民が身を寄せる仙台市若林区の仮設住宅を見舞われた。両陛下は、一人一人の暮らしぶりに耳を傾け、声をかけて励まされた」(産経新聞東京版)とある。ありがたくも心温まる記事である。皇室の歴代の方々が、常に国民とともに苦楽をともにされ、国民の幸せを祈ってくださっておいでのことはわが国の大きな幸せである。
国民学校時代の初等科国語三に「光明(こうみょう)皇后」という教材がある。私も3年生の時に習ったので懐かしさもひとしおだ。現在の3年生の国語教科書の文章と比べると、昔の子供の習った教材の質の高さを感ずることだろう。
「聖武(しょうむ)天皇の皇后を、光明皇后と申しあげます。そのころ、都は奈良にありました。野も、山も、木立も、みどりにかがやく奈良の都には、赤くぬつた宮殿や、お寺のお堂が、あちらこちらに見えてゐました。その中に、光明皇后のお建てになつた、せやく院といふ病院が立つてゐました。せやく院には、大勢の病人がおしかけて、病氣をみてもらつたり、藥をいただいたりしてゐました。(中略)
光明皇后は、ときどき、この病院へおいでになつて、病人たちをお見まひになりました。やさしいお言葉を、たまはることさへありました。
このやうに、しんせつにしていただくので、どんな重い病氣でも、きつとなほるといふうはさが、いつのまにか日本中にひろがりました。光明皇后は、手足の痛む病人や、傷の痛みがなほらないやうな者のために、藥の風呂を作つておやりになりました。この風呂には、いつもあたたかい藥の湯が、あふれてゐました。(中略)
光明皇后は、この藥の風呂へもおいでになつて、一人一人をおせわなさいました。さうして、千人めの病人のおせわをなさつた時、急に病人のからだから光がさし出て、あたりが金色にかがやき渡つたといふことです」
歴代皇室の御聖徳(ごせいとく)がしのばれる。こんな話は子供の心を優しく美しいものに育てるだろう。今の教室でも聞かせたい話である。
(植草学園大教授 野口芳宏)
光明皇后が創建した法華寺=奈良市法華寺町(法華寺提供)