危険と犠牲伴う外科手術参加を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【正論】防衛大学校教授・村井友秀





戦争が殺戮(さつりく)であり、悲惨なものであることは言うまでもない。人類は文明化とともに、数千年にわたって戦争を無くす努力を続けてきた。既に4千年前の古代メソポタミア文明の粘土板に、戦争に反対する記述がみられる。しかし、戦争に対して感情的肯定的態度がいつの時代にも世界中どの地域においてもしばしば見られたことも事実である。第二次世界大戦後の現代史を振り返っても、毎年世界の何処かで戦争は起きている。

 ≪安定を脅かす「悪い戦争」≫

 人間から敵意や憎悪や嫉妬が無くならない限り、世界から戦争が無くなることはないであろう。また、人間と遺伝子の98%を共有するチンパンジーも、集団で殺し合いをすることが知られている。

 多くの社会学や心理学の研究により、人間の本能と戦争との切っても切れない関係が明らかになった。心理学者のフリューゲルやクレッチは、戦争は個人をさまざまな悩みや束縛から解き、破壊する欲求を満たしてくれるものであると主張している。戦争が始まると社会的結合が強化され、鬱病患者が減少するという報告もある。

 人間と不可分の関係にある戦争は、全て人類の生存を脅かす悪なのであろうか。毛沢東は、平和と進歩のための戦争は良い戦争である、と述べている。現代の国際社会には国連や国際法が想定する正義の戦争が存在する。国際社会は世界の秩序を維持するために、その安定を破壊する行為を抑止するメカニズムを備えているのだ。

人間の健康を脅かす病気があるように、国際社会には安定を脅かす戦争が存在する。病気を治すために内科的措置と外科手術が必要であるように、国際社会の病気である戦争を治すにも内科的措置と外科手術が必要である。

 内科的措置とは、戦争の主要因となり得る貧困を無くす経済援助や、他の社会矛盾を減らす支援活動などであろう。内科的措置が十分に効果を上げず、発作として戦争が発生した場合は外科手術としての軍事行動が必要になる。脳卒中の発作を起こした病人に減塩食を与えても病人は助からない。

 ≪「正義の戦争」に3パターン≫

 平和と安定を取り戻すには、まず戦闘を止め、その戦闘停止の状態を維持し、社会を再建する-というプロセスを経なければならない。社会の再建は内科的措置であるが、戦闘を止め停戦を維持するプロセスには、軍事力という外科手術の役割が重要になる。

 国際社会の病気を治す外科手術(正義の戦争)には、次のようなパターンがある。第一は、世界には良い国と悪い国があるという考え方である。すなわち、悪い国が良い国を侵略する戦争が国連や国際法が禁止する戦争であり、悪い国の侵略戦争に反撃する良い国の自衛戦争(正当防衛)が、正義の戦争であるというものである。

悪い国の方が強くて、良い国が反撃できなければ、悪い国に反撃する能力を持つ第三国に、反撃を依頼することができ、良い国を助けて悪い国を攻撃した第三国の行動も、正義の戦争となる(集団的自衛権)。侵略された国が国連加盟国なら、国連が国連軍を組織して侵略された国を助けることになっている。ただし、朝鮮戦争を除いて「国連軍」が編成されたことはなく、今後も、侵略戦争が発生した場合は侵略された国の個別的、集団的自衛権によって侵略戦争に対応する可能性が高い。

 第二は、良い戦争と悪い平和があるという考え方である。戦争がない状態が、必ずしも人々にとって良い状態であるとは限らない。人権が抑圧された反動体制や植民地は、人々に大きな苦痛を与える。抑圧された人々を解放する革命戦争や植民地独立戦争は、正義の戦争とされている。

 ≪日本は「内科的措置」には協力≫

 第三は、現在の国際社会で重視されつつある概念である。すなわち、国家は国民を保護する責任がある。しかし、国家に国民を保護する責任を果たす能力と意志がなく、国民が集団殺害や民族虐殺の犠牲になっているときは、国際社会が当該国家に代わり軍事行動を含む強制措置を取ることで、その国の国民を保護すべきであるという考え方である。この「保護する責任」は内政不干渉原則に優先すると国連は考えている。この考え方は2006年4月の国連安保理決議1674号で確認された。

いずれの正義の戦争も、国際社会を安定させることを目的としている。現代の世界は、冷戦時代に米ソの巨大な軍事力によって押さえ込まれていた、世界各地の歴史的、民族的、宗教的対立が再燃しつつある時代である。国際社会の安定を維持するためには、正義の戦争は不可欠である、と国連は考えている(国連憲章第7章)。

 日本は、これまで国際社会の病気を治す内科的措置には積極的に協力してきた。しかし、経済力の限界が見えてきた日本の国際的影響力を維持するためにも、世界から「正義の国」として尊敬される国になるためにも、大きな危険と犠牲を伴う外科手術に積極的に参加し、国際社会の安定に貢献するときがきているのではないか。


(むらい ともひで)