「私たちの生活とは関係ないところで、エネルギーを巡る感情的な政策論が行われていないか」。こんな疑問を前回のコラム「全原発停止のエネルギー危機、今こそ何が必要か考えよう
」、前々回のコラム「正義を叫ぶ人のつくる政策は危うい
」で示してみた。その延長で今回は人々の唱える「正義」の危うさを、特にエネルギーを巡る議論において指摘してみたい。
アゴラ研究所のエネルギー調査部門のGEPRで取材・発表した主婦の白井由佳さんへのインタビュー記事「放射能パニックからの生還=ある主婦の体験から-自らの差別意識に気づいたことが覚醒の契機に」(GEPR版
)がツイッターで1500RT以上(TOPSY
で計測)など大きな反響をいただいた。(アゴラ版
)私は編集を担当した。批判を受けかねない問題で、実名で答えていただいた白井さんの善意と、協力に感謝を申し上げたい。
上記の記事で印象深かったのは、次の指摘だった。
”放射能問題によって、すべてがリセットされて、一から人生をやり直すことができるのではないかという思い~(中略)~役割を得たとも思いました。思うような人生を歩むことができない事を、社会のシステムの責任にしていました。「原発」問題は社会に反撃を行うチャンス。原発というこれほど分かりやすい「悪」はありません。「反原発」を唱えることで、特別な使命を持った選民意識を持てましたし、自己愛が満たされました。”
白井さんの正義の正体をはっきりと指摘していただき、驚いたし、そして勉強になった。予想したこととは言え、こうした心理を持ち、パニックに陥った人がいたことを確認できた。
ただし、これは白井さんだけの話ではないだろう。リセット願望を誰もが持つであろうし、反原発という言葉を何かに置き換えれば、人は普遍的に熱狂してしまうかもしれない。「大きな物語」に参加することでちっぽけな自分が「意味ある人」に変われるという幻想は頻繁に起こる。http://blogos.com/article/38799/
確か中野さんが言ってたんだと思うけど、反原発やってる人達は原発ネタで反国家をやってるだけ。(だから中核派とか革命厨が多い)
そしてサヨク特有の
俺様以外皆バカ思想。
そうか選民意識だったんだ。全部合点がいく。