日本と中国の国体=国柄に関して、顕著な違いの一つは「徳」に向かう立ち位置ではないか。換言すれば、日本の「万世一系」に対する中国の「易姓革命」である。易姓革命とは-
《中国の皇帝は「天子」と呼ばれる。「天(最高神・天帝)」は自らに代わり「徳」のある者を天子(皇帝)に任じ、地上を治めさせる。「天命」を受けて、天子は「天朝(王朝)」を開くということ。しかし、徳を失った天子に、天が見切りをつけたとき革命(天命を革(改)める)が起きる。人民の中から「徳」を備えた新たな者が興り、天朝を倒し、新たな天朝を築く(姓が易(か)わる)ことになるのだ》
従って、中国の王朝は目まぐるしく変わってきた。ただし「徳のある」「徳を失った」などという畏れ多い“裁定”は、暴力革命正当化の口実に過ぎぬ。事実上の「共産党王朝」である中華人民共和国 など現政権も、その延長線上にある。南シナ海の島嶼(とうしょ)を次々に不法占領し、少数民族への人権弾圧を平然と行う彼の国に「徳」があろうはずもなく、まして少数民族が「徳を失った」わけでは断じてない。むしろ「徳」ではなく「暴力による徳の断絶」こそ、易姓革命の正体だ。
■「易姓革命」という口実
確かに、武力をもって皇帝を追放する「放伐」に対し、皇帝が世襲せず有徳者に位を譲る「禅譲」という「言葉」はある。しかし、禅譲の「実態」は武力を背景とした脅しに近い。
これに比し「血統の継続」こそ、125代もの天皇 様(さま)を戴(いただ)く「万世一系」の要諦だ。そこには「徳のある」などと慢心せず、絶えず反省し、自問自答し、悩み続けられる、歴代天皇 様のお姿がある。
例えば、天平15(743)年の第45代・聖武(しょうむ)天皇の詔(みことのり)・詔勅(しょうちょく)に「大御稜威(おおみいつ)=ご威徳」を鮮烈に見る。その「大御心(おおみこころ)=天皇のお心)」と「大御言(いいみこと)=天皇のお言葉」を、現代語で表せば次のようになる。
《徳薄い身でありながら天皇 に即位し、国民の全(すべ)てを幸福にしなければと常に志してきた。ようやく今、国民を仁政で潤(うるお)すことができたが、まだ全国民を御(み)仏の恩恵に浴させてはいない。何とか仏の威光と霊力により天下太平になり、万代(よろずよ、限りなく久しく続く世)の幸福を願うことによって、この世の全ての生命が皆栄えることを望むものである。
そのために盧舎那仏(るしゃなぶつ)一体を造る。何としても像を造り、大きな山を削って仏堂を構え、広く仏法を広めようと思う。朕(ちん、私)も国民と共(とも)に御仏の功徳に浴して悟りに至ろう》
■「徳」を積まれた歴代天皇
「徳」を積むために、聖武天皇が如何(いか)に腐心なされたかが察せられる。神道と仏教の和やかなる共存を体現されてもいる。聖武天皇の后(きさき)・光明皇后もまた、今で言う孤児院や病院を国家事業として開設しておられる。
第56代の清和天皇も然(しか)り。多くの詔を発しているが、その多くは疫病・自然災害に対してで、自らを責められている。
《農民望みを失う。朕の不徳にして、百姓(ひゃくせい)になんの辜(つみ)あらむ。躬(み)を責めてつつしみ畏れ、いまだなすところを知らず》
《百姓になんの辜ありてか、この禍毒に罹(かか)れる。憮然(ぶぜん)としてはじ懼(おそ)る。責め深く予にあり》
「徳」への自問は古(いにしえ)の時代だけではない。明治天皇(122代)も「徳」を正視し続けた。明治43(1910)年、社会主義者が明治天皇を暗殺しようとした大逆事件が発覚するや、辞表を提出せんとした首相・桂太郎にこう仰せられた。
《もし、自分に神徳の備わってあるものなら、こんなことはあるべきはずがない。然るに、斯(か)くの如(ごと)きことのあるのは、自分が神徳を未(いま)だ完(まっと)うしないからだ。故に、出来(でき)るだけ法律の許す限り、罰を軽くせよ》
■「日本こそ中華である」
現在の中国政府に象徴されるが「全て中国 は正しく、間違っているのは中国 を非難する外国の側だ」と開き直る傲慢(ごうまん)とは対極にある。江戸時代前期の儒・軍学者である山鹿素行(やまがそこう)は見事に中国 を切り捨てている。「易姓革命は結局、臣が君を倒すこと。そのような(不忠な)革命が頻繁に起こる中国 は、中華(世界の中央に君臨する文明国家)の名に値しない。建国以来万世一系の日本こそ中華である」と。
古代ギリシャの哲人プラトンは「君主制と民主制を兼備していなければ『善き国家』とは呼べない」と、弟子の哲人アリストテレスも「多くの国制が混在した国制ほど優れている」と、看破している。
極めつけが、哲学者にして国際連盟事務次長、5000円札の肖像でも有名な一流国際人・新渡戸稲造(にとべいなぞう)の中国観。即(すなわ)ち-
《中国の影響は、何世紀にもわたって及んだにも拘わらず、わが国民の生活には浸透しはしなかった》
《中国の影響は(日本人の)個々の人格、その魂には決して及ばなかった》
愉快である。
(九州総局長 野口裕之/SANKEI EXPRESS )