救う会が情報入手。
北朝鮮で2008年、日本人拉致被害者らが強制的に移住させられ、秘密保持のため厳重に管理されているとの複数の情報が日本政府に寄せられていることが28日、分かった。政府は情報の精査・分析を進めている。
情報は、拉致被害者の支援組織「救う会」が入手。西岡力会長が同日都内で開かれた拉致問題の集会で明らかにした。
救う会によれば、北朝鮮で07年と08年に拉致被害者の情報を入手しようとした人物が逮捕される事件があり、秘密警察にあたる国家安全保衛部が拉致被害者の扱いについて検討した。その結果、拉致被害者に接近する者に対しては「職位の高低にかかわらず厳重に処罰しろ」という指令が出され、被害者についても厳重な管理下に置くために、強制移住させたという。
08年の時点で、保衛部は10人未満の日本人を管理していたとされる。そのうち2人は「カン・クンナム」「イ・チョリョン」との朝鮮名を名乗っていた。2人とも男性とみられるが、年齢や日本人名などの詳細は不明。外部と遮断された場所で資料の翻訳をさせられていたという。
救う会はこの情報とは別に、朝鮮労働党の工作機関が30人以上の被害者を管理していたという情報も入手。被害者らは居住が管理されている「招待所」で生活させられており、秘密保持のため、日本人や外国人同士で結婚させられているという。
08年は日朝実務者協議が開かれ、北朝鮮側が拉致被害者の安否について再調査を約束した。だがその後、進展はみられていない。
救う会関係者は情報の信憑(しんぴょう)性について、「脱北者などからの真偽不明な情報とは違い、北朝鮮当局の中枢にいる有力者からの情報」としている。
署名1000万人目指す 拉致救出の国民大集会。
拉致被害者の救出を訴える国民大集会が28日、東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれた。北朝鮮が拉致を認めて謝罪してから今年で10年。15年前から集めた署名は同日までに868万2978人分になった。家族らは今年を「勝負の年」と位置づけ、9月までに1000万人分の署名を目指す。
集会は拉致被害者の家族会、支援組織「救う会」と超党派の国会議員でつくる「拉致議連」の主催で、約1600人(主催者発表)が参加した。帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(52)や拉致の疑いが指摘されている米国人、デイビッド・スネドンさん=失踪当時(24)=の家族も初めて参加した。
田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(73)は冒頭、「残念ながら集会をしていること自体まだ解決していないということ。何とかして解決の糸口を引き出していきたい」とあいさつした。松原仁・拉致問題担当相は「この10年間本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。拉致被害者の解放にのみ一点に集中し、蓄積した怒りをぶつけていきたい」と述べた。
新潟県佐渡市から駆けつけた曽我さんは、一緒に拉致されいまだに安否が分からない母、ミヨシさん=同(46)=について、「もう80歳で時間がない。時間を止めてほしいと願っている」と切々と訴えた。
横田めぐみさん=同(13)=の母、早紀江さん(76)は「苦しみ悲しみを超えて、私たちは一生懸命生きてきました」。弟の哲也さん(43)は「何の進展もないままここにいるのが悔しくてたまらない」と心情を吐露した。松木薫さん=同(26)=の姉、斎藤文代さん(66)も「母は寝込んで15年。どうしたらいいか分からない」と涙を流した。
「家族はこれしか…」拉致解決署名1000万人の重み
北朝鮮の人口は約2300万人とされる。拉致被害者の家族らが署名で目指す1000万人分という数字がどれほど多いものか分かる。そもそも家族らの活動は15年前の平成9年、街頭での署名活動から始まった。「われわれ家族にはこれしかできないから」。年老いた家族らは今でも街頭に立ち続ける。
横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(79)と早紀江さん(76)は今月15日、奈良県吉野町の吉水神社で行われた署名活動に参加した。満開の吉野桜の下、全国から訪れた花見客らが次々とペンを握った。
「一日も早く救出されるよう祈っています」「体に気をつけて頑張ってください」。2時間余りで3140人分が集まった。
早紀江さんは立ったまま署名を呼びかけた。4年半前に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受けた滋さんのためにはいすが用意されたが、時折腰かけるだけだった。
滋さんは4年前から毎年参加しており、昨年から早紀江さんも加わった。主催した「救う会奈良」の会長で神社の佐藤一彦宮司(70)は「年齢的にも大変だと思うが、気力で立っていた。一方で、昨年の署名活動で集まった義援金の半分は『東日本大震災の被災地へ送ってほしい』と言われ、そうさせていただいた」と話す。
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15年前の9年3月19日、滋さんらの要請で第1号の署名をしたのは当時、新潟県知事だった平山征夫新潟国際情報大学学長(67)。滋さんと平山さんがともに日銀新潟支店に勤めた縁からだった。
平山さんは「横田さんたちはあのとき、実名を公表するリスクを背負って前へ出た。私も何とかしたいと思った」と振り返る。
増元るみ子さんの母、信子さん(84)は鹿児島県姶良市の自宅周辺で署名を集めた。「やっと娘を助けるために自分の力でできることが見つかった」。真夏の太陽の下、坂道の多い自宅の周りを一軒一軒歩いた。
家族らは愚直に、ただお願いした。心ない通行人に「拉致なんて本当にあるのか」と署名用紙をたたき落とされたこともあった。それでも、署名活動をやめることはなかった。北朝鮮が拉致を認めた日朝首脳会談直後の14年10月、79歳で他界した増元さんの父、正一さんが最後に残した「わしは日本を信じる」という言葉がそれぞれの胸にあるからだ。
早紀江さんは「拉致問題の交渉をするのは政府であって、自分たちにできることは署名活動しかない。訴え続けるしかない」と話す。
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家族が署名を提出した首相は、橋本龍太郎首相から数えて15年間で10人。18年から置かれる拉致問題担当相は塩崎恭久氏から松原仁氏まで5年半で11人に上る。
一方で、9年3月25日に拉致被害者家族連絡会(家族会)を結成した際、平均年齢が69歳だった両親11人は、15年間で3人が亡くなり、健在である8人は平均82歳となった。
滋さんは「拉致問題に無関心だった方々が、署名を書くことによって関心を持ってくれる。関心を持ち続けてくれる。それが解決への力になる」と話す。
政府へ提出した署名は28日、延べ868万2978人分となった。
国民大集会で拉致被害者救出を訴える横田早紀江さん(中央)ら
=28日、東京・日比谷公園の日比谷公会堂(小野淳一撮影)
拉致の解決を訴える曽我ひとみさん(中央)=28日午後、東京都千代田区(小野淳一撮影)