自浄能力の無い組織には「全否定」で。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。






東電叩きが凄まじい。
原発関連も同様である。

東電社員の大半は、今回の事故原因には直接関係せず、日常的な電気供給の雑事を一手に引き受けている「ごく普通の会社員」であるにも拘わらず、社会は既に充分「犯罪者扱い」をしている。

これを肯定するわけではない。否定する立場から論じたいのだが、なお気になるのは、こうした「全否定」「十把一絡げ」の発想で批判に興じる人々も、その一方で他の問題に関しては、これまた慣用句である「全ての人が悪いわけではない」「一部の人が悪いだけだ」「否定からは何も生まれない」等々を得意気に使うことである。

「どっちなんだ!」と言いたいのである。

「東電は全否定、他は別」、問題の重要性に鑑みて、「この差は当然」と主張されるのだろうか。問題の重要性を論点にするのなら、原発関連と同等か、或いはそれ以上に、我々の精神を蝕む重要問題も数多くある。

例えば弁護士業である。民主党の議員に弁護士が多いことを書いてきた。勿論、自民党議員にも多くいる。しかし、「特有の三百代言」を自慢げに披瀝して悦に入っているのは、流石に民主党にしかいない。こと幼児性において、自民党は民主党の敵ではない。

何故、こうしたいかがわしい弁護士が否定されないのか。
大きな裁判の度に繰り返される「異常な弁護」。
裁判システムを愚弄しているとしか言いようのない「異様な論理」。
もはや「インテリヤクザ」とは弁護士の本名であるとしか思えない。

にも関わらず、弁護士を全否定する人は少ない。
「確かに悪い弁護士もいるがそれはホンの一部である」。
「大半の人は地道に頑張っている」。
「私の出会った人は立派な人ばかりだった」。
こんな反論が直ぐに出て来て、話は終わるのである。

組織の全否定に故無しとはしない。
それは「自浄能力を促す作用」があるからである。
何もかも否定されれば、当事者は堪らないだろう。
だから組織内改革を試みて、「膿を出そう」とするだろう。

外部からは決して出来ないことが、内部の人間によって初めて為されるであろう。その為には、有能な人材、真摯な人材、その職業に誇りを持っている人々を「何らかの方法」で刺激して、自らの誇りを護る為には、「自分達の組織内に巣くうウイルスを自分達の手で始末するんだ!」と決意させるしかない。

その為には「全否定」は役に立つのである。

江田・枝野・仙谷・小川・平岡・千葉・筒井……と連なる「法の精神をねじ曲げる輩」を廃業に追い込むには、「まともな人達をも含めた弁護士全否定」により、誇り高き人々の奮起を促すしかないのではないか。「まともな弁護士もいます」「大半の弁護士は真面目です」などと言っていたのでは、彼等もまた奮起する機会を逸するだろう。

因みに人間性は兎も角として、仕事振りも横に置いて、一般的意味での弁護士報酬は高すぎると感じる。特に相談料なる名目で、一時間幾らと取るのはオカシイのではないか。だから「無料相談もしている」という話ではないのだ。

「専門性が高い職業である」「その地位になるまでに費用が掛かっている」などともっともらしい反論が、その度に為されるのであるが、そんな職業は他に幾らでもある。それでも彼等は、相談料で何万円、着手料で何十万円、成功報酬で何百万円などという桁外れの額は要求しないのである。

やはり自浄能力の無い組織に対して、我々がその改善を促す最終手段は「組織の全否定」しかないように思われる。東電のようにまさに極端な事例を目の前にして、誠に残念であり、実際に危険な賭だとは思うが、弁護士・マスコミの暴走を止める手段が他にない以上、致し方ないのではないか。「弁護士・マスコミお断り」の店が出現することを望む理由である。

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今日も今日とて、反原発派が大喜びしそうなことを仙谷が言い放った。何が何でも再稼働をしたいらしい。再稼働がなければ「日本は集団自殺」とまで言っていた。頭が悪く、根性もひねくれ、語彙に乏しく、薄気味悪い。取るとこ無しの疫病神が、ここまで言い切った以上、再稼働は益々難しくなった。敵も味方もウンザリさせる、その能力に関しては、「陽の鳩山、陰の仙谷」の二大巨匠に、誰も太刀打ち出来まい。まさに反対派にとっては千人力ではないか。

ところで、県庁前にて枝野・仙谷を迎え撃つのは結構だが、そのお里が知れる太鼓はそろそろ止めて貰えないだろうか。映像を見る必要もない、「ド・ドン・ド・ドン・ドン」というリズムを聴くだけで、何処の誰かは分かるのである。分からず巻き込まれている人が居るならば、いい加減「分かるべきだ」と指摘しておく。