あふれる利己主義者。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【古典個展】立命館大教授・加地伸行






まだ4月というのに、大学生はもう就職活動、いわゆる就活の時期に入ったとのこと。その特集報道を新聞で読んでいて非常に不愉快な事実と出会った。記者の取材に答えて、就活学生が内定(会社)数を挙げていた。内定3とかと。

 それはおかしいではないか。

 もし、会社から採用内定の通知が届いたならば、ただちに就職する会社を決め、そこへお礼と入社後はがんばりますという返事を出す。そして第2、第3の内定通知は、すぐさま辞退の返事をすべきである。

 にもかかわらず、内定通知が来たあと、順番に承諾の返事を出し、その3社の内、どれを選ぶか、じっくり考えるという。

 ということは、3社の内、2社は採用計画が狂うのみならず、その2社に採用される可能性のあった学生の就職機会を奪ったことになる。

 こんな学生を採用しても、ものの役に立たない。単なる利己主義者を雇うことになるだけではないか。

 さらに言えば、大学生の就職率が低いのも、こういった内定による〈妨害〉が一因なのではなかろうか。

 己の内定数を3とか5とかと誇るのは、人間としての資質にどこか欠けるところがある。つまりは、大学教育を受けたとしても、道徳性を高められなかったということだ。そうなると、教育の問題というよりも、その人間自身の持つ欠陥の問題であろう。

 そういう欠陥例の最たるものは、子の虐待死という行為である。

 若者男女がくっついて同棲(どうせい)。やがて子が生まれると男はどこかへ逃げだす。女は再びつまらぬ男とくっつき、今度は己の実子を男とともに虐待して殺す。男は2人とも無職。

 これは、己だけが幸せになればいいとする利己主義そのものである。のみならず、反省とか悔恨といった謙虚さなどまったくない。その実例が最近あった。

 大阪の寝屋川市において1歳の三女を虐待死せしめた両親(28歳と29歳)に対して、去る3月21日、大阪地裁において裁判員裁判による判決があった。検察による求刑は、両被告ともに懲役10年であったが、判決はそれを上回る懲役15年であった。

 事件の悪質さからすれば、検察の求刑は軽いと裁判員たちが判断したわけである。実にすぐれた判断である。その通りだ。軽い求刑しかできなかった大阪地検は、例の検事の証拠捏造(ねつぞう)事件以来、及び腰になっているのかもしれない。

 さて後日、この両親は控訴した。理由は、判決が重すぎるからとのこと。

 呆(あき)れた。なるほど控訴する権利はある。しかし、この理由は何の反省もないことを示している。無抵抗の乳幼児に対して犯した罪は、非人間的〈殺人〉であり、本来、万死に値する。真に反省するならば、いかなる罰をも受け入れるべきである。その反省などまったくなくて、重いの、お助けを、軽くに、という利己そのものであり、人間として欠けている。

 求刑を上回る判決-乱世の昨今にあって、みごとな春光であった。『論語』里仁篇(りじんへん)に曰(いわ)く「君子は刑(けい)(責任を取る覚悟)を懐(おも)い、小人は恵(めぐ)み(お助け)を懐う」と。


(かじ のぶゆき)