【野口裕之の安全保障読本】
東京都の石原慎太郎知事は、北朝鮮が撃った長距離弾道ミサイルに関する日本政府の情報確認について「外国に比べて遅れているのは、今の日本の国家のザマだ」と厳しく批判した。この「ザマ」は、日本人が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)瞬間から、止むことなく積み上げられてきた。
その結果、日本人は「起きて欲(ほ)しくないことは起きない」「起きてはならぬことは起きない」と、安全保障に対して「思考停止」を続けている。「平和を愛する諸国民」でもなく、「公正と信義に信頼」できる道理もない北朝鮮のこれまでの「蛮行」の数々を見つめれば、この“思考回路”が誤りであることは明々白々だ。
そもそも人類史上、主要戦争は1万4千回以上、死者は50億人に達する。過去3千400年の内、平和な時代は250年に過ぎない。日本人は現在、戦争と戦争の狭間(はざま)「戦間期」を生きているのかもしれない。
ただし、日本人が「思考停止」を停止する、短い時間帯がある。北の「蛮行」直後の、実感を余(あまり)り伴わぬ、ぼんやりとした、そこそこの恐怖の余韻が醒(さ)めやらぬ、そんな空気を吸っている間だけの限られた時間である。
平成5年、北が準中距離弾道ミサイル・ノドンを能登半島沖に発射した時(とき)がそうだった。日本列島上空を飛び越え太平洋に落ちたとの分析もあり、さすがに日本人も「諸国民」の正体を垣間(かいま)見せられた。前年には、自衛隊が初のPKO(国連平和維持活動)部隊をカンボジアに派遣し、左翼からは「軍国主義復活への序曲」といった滑稽(こっけい)な批判にさらされていたが、これですっかり鳴りを潜めた。もっとも、核開発を恐れる米国が、核施設空爆を検討したことを知る日本人は、今も少ない。
10年には、北は準中距離弾道ミサイル・テポドン1号を撃ち、日本列島を越えて三陸沖に着弾させた。衝撃を受けた政府は弾道ミサイル防衛(BMD)システムの論議を始め、安全保障会議で「BMDに係る日米共同技術研究」も了承された。15年には1基目の情報収集衛星が打ち上げられるに至る。11年には、工作船が能登半島沖で発見され、初の海上警備行動が発令。海上自衛隊・海上保安庁間で「不審(ふしん)船に係る共同対処マニュアル」策定の契機となった。海自高速ミサイル艇や海保高速特殊警備船が瞬く間に建造・就役してもいる。
そして、九州南西海域で領海侵犯した工作船と海保巡視船が交戦し、工作船が沈没(13年)→弾道ミサイル乱射(18年)と続く。日本政府は、国連への制裁決議案提出を余儀なくされた。
さらに、21年の長距離弾道ミサイル・テポドン2号発射を受け、自衛隊の迎撃部隊がついに実戦配備。策源地=敵基地攻撃の合法性が再確認された。この年の地下核実験強行時にも、米軍の核を「持ち込ませず」という「非核3原則」の一角に疑義が浮上した。
北の「蛮行」の“お陰(かげ)”で、日本の安全保障は牛歩ながら進化を遂げてきた側面があることは否めない。しかし、脅威を受けてから対策を講じるのは安全保障の「外道」。「北頼み」と訣別(けつべつ)しなければならない。主権国家の権利であり義務である「安全と生存」の「保持」は、脅威生起以前に「思考」し、実行せねばならない。ところが「北頼み」にもついていけない「外道中の外道」が尚(なお)も残存する。
社民党は今般の発射について「政府の対応は過剰」と放言した。21年のテポドン2号発射でも、岡田克也外相(当時)は迎撃ミサイルの「PAC3は防衛予算のかなりの部分を占める。有効性について国民に理解される説明が求められる。22年度中に検討すればいい」と発言。福島瑞穂消費者・少子化担当相(当時)も援護射撃した。
斯(か)くして「思考停止の停止」は時間と共(とも)に解除され、また「思考停止」という日常に戻っていく。
「ザマ」は無(な)い。