【消えた偉人・物語】荘川桜移植に挑んだ男たち。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120407/art12040707550001-n1.htm
先日、第84回アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門にノミネートされていた「津波そして桜」は惜しくも受賞を逸したが、少なからぬ反響を呼んだ。
東日本大震災直後、桜の季節が訪れるや、復興へ向けて立ち上がり始めた被災地の人々。その雄姿に接したルーシー・ウォーカー監督は、桜は日本人にとって格別の花なのだと感動、この映画を制作したという。
わが国では春になったら桜が咲くのではない、桜が春を招く。そして満開の姿となって人々を堪能させる。それが桜の徳なのだと、山桜の復興に生涯をささげた笹部新太郎は語っている。その笹部の一世一代の仕事に荘川桜移植事業がある。
時は昭和35年、岐阜県大野郡荘川村が御母衣(みぼろ)ダムの建設によって水没することとなった。この時、ダム建設を推進する電源開発株式会社総裁の高碕達之助は、故郷を失う住民のために、村のシンボルとも言える2本のアズマヒガンを救おうと決意する。
しかし、樹齢400年は下らないと推定される老桜である。移植など無謀と思われたが、高碕の懇願に心を打たれた73歳の笹部は依頼を引き受ける。
必要な工事一式は電源開発が請け負い、ダム工事に携わっていた間組関係者も手伝った。愛知県豊橋市で造園業を営む、日本一の庭師と謳(うた)われた丹羽政光も馳(は)せ参じて協力を申し出る。
かくて、未曽有の移植工事が晩秋の11月半ばに開始される。より高い山腹まで移すには枝や根は切らねばならない。満身創痍(そうい)となった老桜は巨大な鉄製の橇(そり)に乗せられ、ブルドーザー3台で引き上げられた。
工事が終了したのは12月24日、彼らはひとえに故郷を偲(しの)ぶよすがにしてほしいと願って、この難工事を遂行した。しかるに春を迎えても何の変化も萌(きざ)さず、無理だったかと思われた頃、新芽が顔をのぞかせた。関係者は歓喜に沸いた。
現在は「荘川桜」と呼ばれるこの桜は、毎年5月上旬に満開の花をつける。先年この地を訪ねた時、その幹に触れると、不滅のいのちが伝わる心地がしたのが今も忘れられない。桜が咲く限り日本は甦(よみがえ)る。
(中村学園大学教授 占部賢志)