戦争に散華した動物たち。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






馬も犬も鳩も護国の神。


草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。 




2012.04.04(水)桜林 美佐:プロフィール


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「来年も、4月最初の日曜日にお会いしましょう」

 この時期、靖国神社の境内ではそんな挨拶が交わされることが多い。かつての戦友たちが集まっての慰霊祭などが集中するのは、やはり桜の咲く頃なのだ。

戦場で活躍し命を落としたのは兵士だけではなかった

 今年から、これまで別々の日時だった戦没軍馬・軍犬・軍鳩慰霊祭が合同で執り行われることになった。

 遊就館の前にある馬と犬、そして鳩の慰霊像近くに、参列者が集まっていた。本来ならば桜の花びらがヒラヒラと散る中で・・・という心積もりであったが、前日は寒の戻りで大嵐。開花は間に合わなかったが、当日、晴れ渡っただけでも天佑神助(てんゆうしんじょ)と言えそうだ。

 国歌斉唱の後、神事は厳かに始まった。祝詞は、戦の庭に赴いた健気な動物たちそれぞれの活躍ぶりが窺い知られるものであった。

 先の大戦においては、再び懐かしい故郷に還り得たものは皆無に等しい。馬も犬も鳩も多くが戦場に落命したのである。

 屍を野辺に晒した「戦友」には、墓も仏壇もない。靖国での再会だけがその霊を慰める唯一無比の約束だ。

 その約束を果たすために、遠方から杖をついて毎年、多くの関係者が来ていたが、最近はやや参列者の年齢も若いように見受けられる。おそらくご家族の代参なのだろう。

 その日は南方戦線の戦友会も行われていたようであったが、馬や犬などが活躍したのは大陸戦線が主であったことから、この集まりはさらに時代を遡ることになるわけだ。

前線の兵士たちの大きな支えだった軍用犬

 筆者は最近、『ありがとう「金剛丸」 星になった小さな自衛隊員 』(ワニブックス)なる一冊を上梓した。

東日本大震災において災害派遣に出た海上自衛隊の警備犬が、生まれてから絶命するまでの一生を記したものだ。

 「金剛丸」は、杉本正彦海幕長が呉地方総監時代に付けた名前だが、かつて満洲事変で活躍し、国民的な人気を集めた軍犬の名も「金剛」であったことは興味深い。

 1931(昭和6)年9月18日、柳条湖で南満洲鉄道爆破事件が起こったその夜、独立守備隊による攻撃が開始された。その際、守備隊本部まで伝令のため走り続けたのが、軍犬「金剛」と「那智」の2頭だった。

 2頭は弾雨の中を何度も往復し、いよいよ突撃となった時、兵士をかばうかのように先んじて敵陣に突進、群がる敵兵に踊りかかって勇猛果敢に戦った。そして、敵弾を浴び2頭とも壮絶な戦死を遂げた。口には敵兵の服をしっかりとくわえていたという。

 兵士たちは涙に暮れ、「金剛」と「那智」を愛育していた士官は、2頭の後を追うように、その年、戦死した。

 軍用犬の任務は伝令だけでない。「軍用犬行進歌」をひもといてみると、倒れた斥候兵の血染めの手記を野越え山越え本隊に届ける姿や、負傷した兵士のもとに全速力で駆けていき、薬や包帯を渡す情景が描かれている。また、弾薬を運ぶ任も担っており、前線の兵士たちにとって大きな支えとなっていた。

 だからこそ、かの時代から幾年月を経ても、今なお感謝と報恩を忘れずに、電車を乗り継ぎ、杖を頼りに九段坂を上り、黙々と動物たちの御霊に拝礼する皆さんの姿があるのだ。

 「『愛馬進軍歌』を歌いますので、お聞き下さい」

 初めて戦没馬慰霊祭にお邪魔した時、元騎兵や砲兵など関係者の代表者がそう述べたのを聞き、動物に対する言葉としては丁寧すぎてちょっと驚いた。

しかし、馬も犬も鳩も護国の神に違いないのである。穢(けが)れのない心でひたすら人のために尽くしたかけがえのない「戦友」への畏敬の念を、ひしひしと感じさせた。

 よく、こうした慰霊行事などが、年々、参加者が減るということで将来を案じる声を聞くが、私は靖国神社がある限りその点は心配ないと考えている。月日が経てば当事者が減るのは当然だ。それを憂いても仕方がない。だからこそ神社の存在意義があるのではなかろうか。

我々が果たすべき約束とは何か

 話が飛ぶようだが、私はご遺骨の収集に関してはあまり共感を抱いていない。もちろん、取り組んでおられる方々の志は尊いと思うが、私自身は、ご英霊との「約束」をそこに見出していない。

 運良く、帰還できるご遺骨があっても、それはどこへ帰るのか。また、残されたご遺骨を寂しい思いにさせはしないかと心配になるのだ。現政権は遺骨収集にご執心のようだが、どこか欺瞞のようにも見えるのは私だけだろうか。政治利用の臭いを感じるのは考えすぎであろうか。

 戦野や大海に屍を晒した幾多の同胞との約束を果たすことは、当時を知る年配の方々だけの務めではない。現在やこれからを生きる我々にも課せられていると私は思う。そして、それは唯物ではなくて、「魂」に思いを致すことではないだろうか。

 何年か前の戦没馬慰霊祭で捧げられた祭文の一節が、今でも強く印象に残っている。

 「軍馬の霊よ、かつて万歳歓呼の声に送られ祖国を発ちしに、現下の日本、人心の荒廃覆うべきにあらず、汝らの汚れなき心、知る者ぞなし・・・」

 最近は慰霊祭でこの時の皆さんをお見かけすることもなくなってしまった。しかし、この時期になると常に私の心の中に現れている。

 靖国の桜が満開となる、この頃に。



























































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