夕刻の備忘録 様のブログより。
消費税増税まっしぐら。
誰が何と言っても増税。
増税には不退転の決意。
震災復興とは何のこと?
これが今の政府の方針である。
しかし、この状況を憂慮する多くの人々が口にする
財務省の言いなり
官僚の言いなり
政治主導は何処へ消えた
という台詞に違和感を感じるので少々書いておく。
彼等が「誰かの言いなりになる」ということがあるだろうか。
果たして、洗脳を受け付けるだけの「頭がある」だろうか。
弱い者に厳しく、強い者に媚びてきた世渡りだけの連中である。
しかし、今は最高権力者の地位に登り詰めているのである。
官僚は、そこまで凄いのか。
そんな技を持っているのか。
どうもこの辺りに不信感を抱くのである。
実際は、財務省の言いなりでも、政治主導の放棄でもない。
現状こそが彼等のいう政治主導であり、権力者の快感なのである。
要するに彼等は「嫌われる快感」に酔い痴れているのだ。
野党時代は、口を極めて自民党を罵った。
しかし、内心ではずっと自民党に憧れてきた連中である。
一度は俺も責任ある地位に就いてみたい。
世の中から批判される側に回ってみたい。
彼等が自民党を批判すればするほど、マスコミは沸いた。
しかし、当の自民党議員は与党の責任を言うだけだった。
「国家経営には責任が伴う。その責任を全うする」と。
実はその姿に憧れていたのだ。
★ ★ ★ ★ ★
バカに何かを教えると、必ずこうなる。
自民党が批判され、それに便乗し、あるいは自らが主役となって、政府を貶めてきた。しかし、内心ではそれに憧れていた。その結果、彼等が得た結論は、自分も早く批判されたい、もっともっと批判されたい。批判されることが大政治家の証である。批判されることだけをやり続ければ、それで「与党の責任を果たした」ことになる。
そう考えているのだ。
だから、バカに何かを教えると、こういう悲惨な結末になるのだ。
不退転の決意で、と昔誰かが言っていた。
だから俺も言ってみる。
まさに不退転のバカである。
「さはさりながら……」と誰かが言っていた。
よし俺も使ってみよう。意味なんて知ったことか。
増税をするには覚悟がいる。
だから俺も覚悟を見せる。
その為には増税をする必要がある。
嫌われても、国益のためには為すべき事を為す。
だから俺も嫌われたい。もっともっと嫌われたい。
そして官僚が褒めそやす。
「今この時期に増税を口に出来る政治家はあなただけだ」と。
「これで大政治家の仲間入りだ」と。
「今は嫌われても、後世必ず評価される」と。
官僚の言いなり、官僚の洗脳といったところで、この程度の話ではないか。だから我々は真実を教えてやる必要があるのだ。
増税は誰でも出来る、最も安易な政策である。
そのことを教えてやる必要がある。
後世必ず語られるであろう、ここまで愚鈍な宰相がいたと。「国民に嫌われる」という意味を履き違え、生理的嫌悪感を受け付けることだけに熱心になっていた愚者が、権力の位置にあったと。
人相が嫌い、声が嫌い、性格が嫌い、態度が嫌い、人それぞれに嫌いなタイプはあるものだ。しかし実際には、「これだけの要素を兼ね備えた人間」には、そうそう巡り会うものではない。大抵は単項目で済むものだ。一つの要素でもう充分だ。
しかし、目を民主党に転じると、居るわ居るわ、次から次へと幾らでも出てくるのである。満点フル装備の嫌われ者が。そして彼等は、そうした我々の生理的嫌悪感に敏感に反応して、「俺も相当立派な政治家になったものだ」とほくそ笑んでいるに違いないのである。
そして国民に向け堂々と胸を張って
「苦い薬を飲み、痛い注射を打って頂く」
などと嘯くノダ。
「時には国民に辛い要求をも強いるのが政治家である」などという「本物にしか出来ないこと」を、偽物に教えるから、物事の程度の分からない人間は有頂天になって,無理強いするのである。自らを大政治家に擬するために。
だから、あれほどバカに……
誰が何と言っても増税。
増税には不退転の決意。
震災復興とは何のこと?
これが今の政府の方針である。
しかし、この状況を憂慮する多くの人々が口にする
財務省の言いなり
官僚の言いなり
政治主導は何処へ消えた
という台詞に違和感を感じるので少々書いておく。
彼等が「誰かの言いなりになる」ということがあるだろうか。
果たして、洗脳を受け付けるだけの「頭がある」だろうか。
弱い者に厳しく、強い者に媚びてきた世渡りだけの連中である。
しかし、今は最高権力者の地位に登り詰めているのである。
官僚は、そこまで凄いのか。
そんな技を持っているのか。
どうもこの辺りに不信感を抱くのである。
実際は、財務省の言いなりでも、政治主導の放棄でもない。
現状こそが彼等のいう政治主導であり、権力者の快感なのである。
要するに彼等は「嫌われる快感」に酔い痴れているのだ。
野党時代は、口を極めて自民党を罵った。
しかし、内心ではずっと自民党に憧れてきた連中である。
一度は俺も責任ある地位に就いてみたい。
世の中から批判される側に回ってみたい。
彼等が自民党を批判すればするほど、マスコミは沸いた。
しかし、当の自民党議員は与党の責任を言うだけだった。
「国家経営には責任が伴う。その責任を全うする」と。
実はその姿に憧れていたのだ。
★ ★ ★ ★ ★
バカに何かを教えると、必ずこうなる。
自民党が批判され、それに便乗し、あるいは自らが主役となって、政府を貶めてきた。しかし、内心ではそれに憧れていた。その結果、彼等が得た結論は、自分も早く批判されたい、もっともっと批判されたい。批判されることが大政治家の証である。批判されることだけをやり続ければ、それで「与党の責任を果たした」ことになる。
そう考えているのだ。
だから、バカに何かを教えると、こういう悲惨な結末になるのだ。
不退転の決意で、と昔誰かが言っていた。
だから俺も言ってみる。
まさに不退転のバカである。
「さはさりながら……」と誰かが言っていた。
よし俺も使ってみよう。意味なんて知ったことか。
増税をするには覚悟がいる。
だから俺も覚悟を見せる。
その為には増税をする必要がある。
嫌われても、国益のためには為すべき事を為す。
だから俺も嫌われたい。もっともっと嫌われたい。
そして官僚が褒めそやす。
「今この時期に増税を口に出来る政治家はあなただけだ」と。
「これで大政治家の仲間入りだ」と。
「今は嫌われても、後世必ず評価される」と。
官僚の言いなり、官僚の洗脳といったところで、この程度の話ではないか。だから我々は真実を教えてやる必要があるのだ。
増税は誰でも出来る、最も安易な政策である。
そのことを教えてやる必要がある。
後世必ず語られるであろう、ここまで愚鈍な宰相がいたと。「国民に嫌われる」という意味を履き違え、生理的嫌悪感を受け付けることだけに熱心になっていた愚者が、権力の位置にあったと。
人相が嫌い、声が嫌い、性格が嫌い、態度が嫌い、人それぞれに嫌いなタイプはあるものだ。しかし実際には、「これだけの要素を兼ね備えた人間」には、そうそう巡り会うものではない。大抵は単項目で済むものだ。一つの要素でもう充分だ。
しかし、目を民主党に転じると、居るわ居るわ、次から次へと幾らでも出てくるのである。満点フル装備の嫌われ者が。そして彼等は、そうした我々の生理的嫌悪感に敏感に反応して、「俺も相当立派な政治家になったものだ」とほくそ笑んでいるに違いないのである。
そして国民に向け堂々と胸を張って
「苦い薬を飲み、痛い注射を打って頂く」
などと嘯くノダ。
「時には国民に辛い要求をも強いるのが政治家である」などという「本物にしか出来ないこと」を、偽物に教えるから、物事の程度の分からない人間は有頂天になって,無理強いするのである。自らを大政治家に擬するために。
だから、あれほどバカに……
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