顧客を侮辱する東急百貨店。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








夕刻の備忘録様のブログより。




何かを指摘すれば「謝る」。
謝ればいいんだな、とばかりに謝る。
「謝ったんだからもういいじゃないか」
唯々これを言いたい為に謝る。

誤解を与えた「としたら」申し訳ない。
迷惑をかけた「としたら」謝罪したい。
心を傷付けた「としたら」陳謝申し上げたい。

最近流行の「民主党用語」である。正確には、既にかなり古い歴史をもっているようであるが、何より民主党議員が多用し、何より彼等の人品骨柄を露骨に示す、リトマス試験紙的言葉であるから、「民主党用語」として差し支えないだろう。これを使いこなせるようになると、官房長官程度なら明日からでも務まる。

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さて、東急百貨店が謝罪文を掲載した。先ずは第一報である。


2012年3月29日 お客さま各位
株式会社東急百貨店 お詫び
この度、たまプラーザ店の新聞折込広告(3月29日号)に掲載した「コリアンハンドメイド展」の紹介文の一部に、文献などによる根拠がないまま掲載した記述がございました。大変ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申しあげます。



その後、何故か「第二謝罪文」が出た。


2012年3月29日 お客さま各位
株式会社東急百貨店 お詫び
この度、たまプラーザ店の新聞折込広告(3月29日号)に掲載した「コリアンハンドメイド展」の紹介文における、「日本の和紙のルーツである韓紙」という記述は、文献などによる根拠がないまま誤って掲載したものでありました。 大変ご迷惑をおかけいたしましたことを>深くお詫び申し上げます。今後は、事実を検証・確認した上で正確な情報をお客様にご紹介できるよう努めてまいります。



両者の差は次の文言である。

 ~紹介文における、「日本の和紙のルーツである韓紙」という記述は、~誤って掲載したものでありました。 ~今後は、事実を検証・確認した上で正確な情報をお客様にご紹介できるよう努めてまいります。


要するに、電話・メールなどで「何に対する謝罪か全く分からない」と抗議を受けて、「早速書き直しました」というところだろう。この経緯は「東急側に謝罪の気持ちが無いこと」を如実に表している。「語るに落ちた対応」とでもいうべきものである。

百貨店のどの部署の、どのレベルの社員が企画したものか、その文案を練ったのか、はたまた誰が最終的なゴーサインを出したものなのか。

「日本生まれの日本育ちの日本人」が、こんなレベルのデタラメを公の文章として出すものなのか。「日本生まれの日本育ちの日本人でない人間」ならいざ知らず。「海外生まれの海外育ちの外国人なら致し方ない」としても、果たしてそんな経歴の人間が、「百貨店のチラシ広告」に関与するものなのか。何というグローバル!

この詫び文を読むと、東急百貨店はチラシ広告を出す為に、如何にも毎度毎度「文献を読み、根拠を探し、事実を検証・確認」しているようではないか。そんなことは「天下のNHK」でもやりはしない。何の根拠も事実の裏付けも、証拠もアンケートの結果もなく、「最近若者の間では、携帯メールに××××を使うことが流行っています」と公共の電波を使って、「誰かの願望」を垂れ流している。それを国会で追及されても、NHK会長は話題を逸らして、決して答えようとはしない。

これが現実なのだ。天下のNHKでもやらない裏取りを、東急はチラシのレベルまで徹底している、と主張するつもりなのだろうか。今後に注目したいものである。

追求されれば謝る。追求が厳しいと、これまで「やってもなかったレベル」のことまで、今後はやると宣言する。やれるはずのないことまで「口約束」する。まさに民主党そのものである。

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こうして、東急百貨店が「汚染されている」ことが明らかになった。
さて何に対する汚染なのか。

顧客に分からなければ、適当に書いておこう。バレたらバレたで謝ろう。クレームが強ければ、その度毎に謝ろう。「謝罪しているんだから、もういいじゃないか」と言ってくれる「物分かりのよい援軍」が来るまで頑張ろう。

まさに謝罪の大安売りである。
心の籠もらない、その場限りの謝罪を続けていると、精神が荒廃する。
そして、美しいものと醜いものの区別がつかなくなる。
虚偽、捏造に従事している者、全てがこの種の汚染状態にある。
嘘に心が慣れているのだ。嘘が心を汚染しているのだ。

街のスーパーである「東急ストア」も汚染されているらしい。
売れもしないものを並べて、「フェアー」だと主張しているらしい。
商売人が、売れない物を並べだしたら「終わり」である。
売れない物を並べるには、並べるだけの理由がある。
何処からか金がカンリュウしているのだ。

顧客不在の謝罪の安売り。
東急百貨店は自らの誇りまで安売りした。
事は一部署の不始末ではない。
チラシの書き損じではない。
構造的な問題である。

チラシを回収する気も無ければ、正確に事実を広報する気も無い。だからこその第一謝罪文であり、だからこそ第二でお茶を濁したのである。何しろ「今後は、事実を検証・確認し~」として、既に「今後の話」に切り替えているのであるから、こうしたデタラメをキチンと訂正するつもりは全く無いのである。


ところで、チラシの担当者のルーツは何処なのか?
売れないフェアーの担当者のルーツは何処なのか?
こちらが知りたいのは和紙のルーツではないのだ!

「嫌なら買わなければいい」、そんな理窟は通用しない。大規模小売店舗は、その進出にあたって、当地の中小零細店舗を押しのけているのだ。選べないようにしておいて、「嫌なら買うな」とは言えない道理である。電車もまた同じである。

公共性を理解しない企業は、早晩衰退する。しかし、その最終局面までは、近隣地区の人々には選択の余地がないのである。それに胡座を掻き、デタラメを垂れ流し、型通りの謝罪文でお茶を濁して、また密かに新たなデタラメを何処かに押し込もうとするのか。もし、そんなことが続くのなら、「東急グループのルーツは何処か」と聞きたくなる。