【産経抄】4月1日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










占領下の日本を支配した連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが解任されたのは昭和26年4月11日のことだ。国連軍最高司令官も兼ね指揮をとっていた朝鮮戦争で、中国本土などへの攻撃を主張した。このことでトルーマン米大統領と対立したためだった。

 ▼16日には羽田空港から米国に帰るが、見送る日本人の「歓送」ぶりは異常なほどだった。衆参両院が感謝の決議を行い、新聞は今読めば恥ずかしくなるような賛辞を書き立てた。空港までの沿道では20万人以上が日の丸や星条旗を振ったという。

 ▼マッカーサーは5年7カ月に及ぶ在任中、いわゆる戦犯の摘発や押しつけ的な新憲法制定で強権をふるった。だが多くの日本人には戦前の指導者を成敗する「正義の人」と映った。米国流の民主主義や平和主義を教えてくれた「恩人」に思えたのだろう。

 ▼そんな熱が冷めやらぬ中、マッカーサーは米上院で証言する。日本が米国と戦った理由として、連合国側の経済封鎖などをあげ「主に自衛のためだった」と述べたのだ。日本を断罪してきた人の発言だけに新鮮に聞こえた。だが日本で取り上げられることはほとんどなかった。

 ▼日本の戦争は侵略のためだけだったと思いたい「自虐史観」の持ち主には、受け入れがたい見解だからだ。ところがそのマッカーサー発言が61年ぶりに、東京都立高校の地理歴史教材に掲載される。正式な教科書ではないが、画期的といってもいい。

 ▼実は上院での発言を初めて知ったのは16年ほど前、本紙連載の『教科書が教えない歴史』でだった。文字通り教育現場からはじき出されてきた「歴史」がようやく教材となった。桜の花一輪を見つけたような感慨を覚えた。