「災害派遣」だけで語られる自衛隊の苦しみ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






世間の声に翻弄される「最後の砦」


草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。 




2012.03.21(水)桜林 美佐:プロフィール


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最近ちょっと悩んでいる。

 北村淳氏がJBpressに執筆したコラム「被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由 美談だけで済ませてはいけない『震災と自衛隊』 」を読んで、少し前の拙稿「『陸自の海兵隊化』が不可能な理由  米海兵隊に頼り切りの状態を脱するには 」と比べると、同じように自衛隊と海兵隊について書いていても、私のものはずいぶんトーンが弱いなと感じたからだ。

 あらかじめ申し上げておくと、北村氏も私も立場上は「国益重視派」と、あえて勝手に位置づけてしまうが、決して対立意見を述べているわけではない。

 少しでも世の中に現実を知ってもらい、少しでも良い方向に動けば・・・という共通の思いで日々活動しているのだが、そんなことが容易にできるわけがなく、特に米国にいる北村氏は、はがゆい思いをしているのであろうことが、文面から読み取れる。

自衛隊は右を向いても左を向いても真っ暗闇の状況

 さて、拙稿では、防衛力について「色々なオプションを薄くとも残す方策が肝要」だと記したが、そういう書き方は確かに強烈なインパクトはなく、どうもあまりウケが良くないようである。

 講演などをすると「もっと突っ込んだ話が聴けるかと思った」などと言われることもある。何をもって「突っ込んだ話」というのかは分からないが、「核武装すべきだ・・・」「自主防衛すべし・・・」などと叫んでいるだけで講演料をもらえれば、さぞかしラクだろうとつくづく思う。

 しかし、そんなことをすれば、ますます国防の現実が知られなくなり、ただでさえ情報が伝えられていない国民にとって、何ひとついいことはないのだ。

 ゆえに、とにかく「つまらない」と言われようがなんだろうが、自衛隊を巡る実際の状況を多くの人々に知ってもらうことこそ大事と思い、「自衛隊はあらゆる事態に対処しなければならない」「そのための人員が不足している」と言い続けているのである。北村氏の述べている併用戦力もその1つだと思っている。

しかし、最近、ふと頭をよぎったのは、いっそのこと「あらゆる事態」という十字架を外せば、この長年にわたり組織を悩ませている問題は解決されるのではないか、ということだ。それくらい言ってしまってもいいのではないか・・・と。

 簡単に言えば、それは、まず自衛隊による災害派遣を止めることだ。すでに何人かの陸自OBからも、「極論だが」という前置き付きで、そのような見解を聞いたこともある。

 誤解をされると困るのだが、私自身も含め、災害派遣を「止めるべきだ」と言っているのではない。仮にそんなことをしようとしても、大規模災害が発生したら、結局、自衛隊が頼られることになるのは目に見えている。

 しかし、このままでは、右を向いても左を向いても真っ暗闇の状況がひたすら続き、「傷だらけの自衛隊」となることは間違いないのだ。

自衛隊の存在意義は「災害派遣」にあるのか?

 それ程に今、自衛隊が抱えている自己矛盾は酷くなっている。

 しつこく述べているが、1つ目の矛盾は、防衛予算が10年以上「減少」し続けている中で、「精強であれ」と言われ続けていることだ。

 そして2つ目に、自衛隊が本来行うべき任務は「国防」であるが、災害派遣の成果がこれ程に世の中に認められ、言われたことのないような賛美を受けると、評価されない「国防」よりも災害派遣の方が存在意義を伝えられると感じてしまっている向きもあることだ。

 また、「地域に根を張る郷土部隊」の意義が再認識された一方で、政府が決めた「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」では「動的防衛力」がキーワードとなり、折しも米国の新国防戦略が打ち出される中、統合運用の下、陸自も「機動的に動く」という方針に舵が切られ始めている。

 これに動揺を隠せないのが、各地の隊員たちだ。

「これから先、私たちはどうしたらいいんですか?」

 災害派遣の任務を終えた空虚さもあるのだろうか、ベテラン陸曹に涙ながらに吐露する隊員もいるという。

 指揮官はそれでも、国の方針なのだからと叱咤激励し「日本のために命を賭して粛々と任務に励め」と言い続けるが、世間では、「海兵隊的な能力を高めよ」と言ってみたり、「災害では頼れる存在」という声が上がったり、混乱を極めている。

 先日も参院予算委員会で質問した議員から、自衛隊法第3条に「災害派遣」という文言を明記すべしという発言があったようだ。

陸自が味わっている凄まじい苦しみ

 かつては、米国にも「ビンの蓋」という考え方(注:日本の再軍備を防ぐために在日米軍を配備するという考え方)が強く、自衛隊が強くなることは許されない雰囲気もあった。しかし、時代は変化した。

 北村氏が言うように、自衛隊にはどんどん高い能力が求められるようになり、何らかの「変化」が必要になっている。その波の中で陸自は、今、凄まじい苦しみを味わっていると言える。

 見過ごせないのは、その矛盾や混乱のしわ寄せが若い隊員に行ってしまうことだ。

 多くの政治家も、わが身のことと思って考えてみてほしい。人員は減り、任務は増え、給与は激減、そして人的改革により、給料が高いからといって曹クラスが減らされるために、彼らが懸命に努力しても曹には上がれない。

 再編による予期せぬ引っ越しなどで家庭生活にヒビが入るケースも多い。いや、将来の希望がないために、家庭を持つことも気後れしているという話も聞く。

 頑張ってくれ、頼むと言っても、その先に何があるのかと聞かれて、私たちは何と答えよう。

 陸上自衛隊をどんなに新しい言葉で形容しても、「最後の砦」であることに違いはない。そしてそれは今だけではなく、将来にわたってである。その砦をいかにすべきかは、日本人自身が決めなくてはならない。