指揮官はそのとき(上) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【話の肖像画】

前統合幕僚長・折木良一 今も「ING」の形で震災に対応。






平成23年3月11日。人々は長くこの日を記憶にとどめることになるだろう。死者・行方不明者約1万9千人を出した東日本大震災。未曽有の大災害に日本中が震撼(しんかん)したさなか、自衛隊約10万人を動かした。制服組のトップとして、原発事故への対応、被災者の救助、行方不明者の捜索に当たった。想像を絶する状況で決断を迫られた指揮官の心の裡(うち)をきいた。(文・三枝玄太郎)

 ――統合幕僚長を退官された今、どういうお気持ちですか

 折木 反省の連続です。統合幕僚監部を作って6年。防衛省の改革、陸海空の自衛隊の構造改革に携わってきました。その間、統合運用の必要性を議論していただきました。そういった統合運用といったマインドは進んだと思います。あとは統幕をどう機能させるか。陸海空が協力してまさに今、INGの形で東日本大震災の対応に邁進(まいしん)しているわけですが、後輩が引き続き着実に進めてくれると期待しています。

 ――その東日本大震災ですが、未曽有の危機の前に陣頭指揮に立たれました。震災があったときは何をされていましたか

 折木 防衛省の事務次官室で会議中でした。相当揺れました。てっきり首都直下地震かと思いました。それが部下からの報告では、震源は遠い東北だという。それなのに東京がこれでは大変なことになるぞ、と思いました。すぐに指揮所に入って指揮を執りました。
《そこで東北を中心に甚大な津波被害が出ていることを知る。宮城県石巻市に6~8メートルの津波が来た、との報告を受けた》

 折木 前年のチリ地震の時は石巻や宮古に到達した津波は1メートル20センチ前後と認識していました。それが6~8メートルというのだから大変な被害になると思いました。11日の夕方、私のほかに陸海空の3幕僚長が集まって『大部隊を動かさなくてはいけない』ということになり、北部、西部方面総監には電話で『部隊を動かすから人を派遣してくれ』と伝えました。

 ――大災害でしたが、自衛隊の活動は声価を大いに高めることになりました

 折木 現場で小さいお子さんやお年寄りから激励を頂きました。私のところにすら『統幕長、助けてください』と匿名の投書がありました。国民の思いが伝わりました。

 ――不眠不休で現場の隊員たちはご苦労されたと思います

 折木 3月中は震災や原発対応で、緊張感、使命感をもってやらせていただきました。現場はもっと被災者の方に対面していたわけで、被災者目線で頑張ってくれました。震災も原発対応も組織化でき、大きな流れは3月中でできたと思います。

 ――震災を教訓に後輩たちにアドバイスすることは

折木 今回対応できたのは、教育訓練をしっかりやってきたこと。阪神大震災をはじめ今までの教訓を積み上げながら対応してきたのがこうした活動につながった。海外に派遣したときも、自衛隊は現地の目線でやってきたんです。国内でやっていることも海外でやっていることと同じなんです。それをこれからも続けていってもらいたい。

 ――米軍の協力というのは大きかったですね

 折木 集中して1万6千人もの態勢をとってくれました。迅速で日米の調整もスムーズにいきまして早期に展開してくれました。

 ――米軍から学ぶべき点は何でしょうか

 折木 米軍は世界的に展開していて、主導的に動いています。司令官の権限、指示のスピードが格段に違う。何といってもスピード感です。システムが米軍には確立しているんですね。空母に5千人規模の部隊を乗せてすぐに動かせる。わが国はそうはいきませんから。

 【プロフィル】


 折木良一(おりき・りょういち) 昭和25年2月10日、熊本県津奈木町生まれ。62歳。八代高校、防衛大学校を卒業後、47年、自衛隊入隊。第9師団長(青森県)、中部方面総監(兵庫県)、陸上幕僚長などを経て平成21年3月から第3代統合幕僚長に。東日本大震災で10万人の陣頭指揮を執った。1月31日退官。



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