【土・日曜日に書く】
論説委員・福島敏雄 「維新の会」は何を目指すのか。
◆「独裁発言」はホンネ?
かつて橋下徹氏が大阪府知事選に当選したとき、この欄で、その存在態様が文化人類学の「トリックスター」に似ていると書いた。日本語では「いたずら者」と訳されたりもするが、トリックスターは外部から不意にやってきて、さまざまなトリック(奇策)をめぐらし、権威に挑戦する。
権威の側は一時的には混乱するが、ぎゃくにそのトリックによって、固定化、かつ硬直化したシステムが流動化、かつ活性化される。アフリカなど世界各国の神話などに登場し、「文化英雄」などと称されることもある。
トリックスターは、居座ることはない。日本でいえば、古くはスサノオ、ちかくはフーテンの寅さんが、その典型であろう。活性化に成功すると、「あばよ」などと言って去っていく。
橋下氏も府庁で、ぞんぶんにトリックスターぶりを発揮した。いちいちの評価はくわえないが、府庁内をドラスチックに流動化、かつ活性化させた。強圧的な部分もかなりあったが、抵抗する職員らに対しては、しきりに「民意」を強調した。
だが「民意」は、いかようにも解釈することができる。最低限、求められるのは、反対派の「民意」をくみいれつつ、諸施策を打ちだしていくことである。
その意味で、民主主義は、とんでもなく「手間」がかかるシステムである。英国の宰相チャーチルが「最悪の政治形態」と指摘したとき、念頭にあったのは、ワイマール憲法下で、正規の民主主義の手続きを踏んで登場したヒトラーであったはずである。
「いま、必要なのは独裁」と喝破した橋下氏は、べつに比喩的に言ったとは思えない。民主主義から、めんどうくさい「手間」をはぶいてしまえば、すなわち「独裁」である。
◆なぜ「国政進出」なのか
橋下氏は府だけでは「大阪都」構想が実現できないとわかると、こんどは大阪市に乗り込んだ。府との足並みがそろった現在、「大阪都」構想はあるていどは、実現可能である。「民意」が求めたのも、そこまでのはずである。
ところがこんどは唐突に、国政への進出をも、となえはじめた。府と大阪市だけでもダメなら国政へ、ということらしいが、あまりにも短兵急にすぎる。
国政進出のための政治塾には、当初の定員400人にたいし、なんと3300人以上の応募者があった。橋下氏は「日本も捨てたもんじゃないなと思った」と言ったというが、筆者などは、端的に薄気味が悪い数字だと思った。
多くの政治家を輩出している松下政経塾(昭和55年開塾)の第1期生の応募者は190人だったが、当時は「殺到」と報じられた。選ばれた塾生は23人。全寮制で、さまざまな分野にわたる研修がみっちりと課せられた。創設者の松下幸之助は「維新の志士」のような有為な人材を期待したといわれる。
その松下政経塾ですら、個々の名前ははぶくが、あの程度の政治家たちしか輩出していない。少々、アタマはいいかもしれないが、ときとして「悪」をものみ込み、策謀をめぐらして政敵を切り捨てる度量の大きさがどこにもうかがえない。
少々、アタマがいい人間は、本当にアタマのいい人間には、アタマが上がらないという独特の習性を持つ。かれらが、官僚にアタマが上がらないゆえんである。官僚からの狡智(こうち)にたけた「研修」は、塾生時代の比ではなかった。
◆「王殺し」の可能性も
維新の政治塾から何人が国政に打って出るのか、もちろん分からない。かれらは、容易にチェンジが可能な会員(メンバー)であって、「パトリオット(愛国者)」という訳語の枠にはおさまりきれない、たかだかとした無償の精神を持った幕末の「志士」とはくらべようもない。
ふたたび文化人類学の知見を借用すれば、維新の会員にとって、橋下氏はもはやトリックスターではなく、「王(キング)」になっている。J・フレーザーの『金枝篇』によれば、未開社会において、「王」は無秩序の世界を整序し、浄化するという役割を負う。
だが飢饉(ききん)などの不測の災厄に見舞われたばあい、その責任を取らされ、「民意」に基づき、残忍な方法で「王殺し」が敢行される。
文明社会においても、政治だけでなく、企業や各種の組織において、形而上学的な意味での「王殺し」はいまも、頻繁に行われている。橋下氏という「王」にも、その危うさがつきまとう。
そのていどには、「民意」はいいかげんであり、そうであるがゆえに、ときとして絶妙なバランス感覚を発揮する。
(ふくしま としお)