【平成志事術】
マーケティングコンサルタント・西川りゅうじん
■「感」じて「動」く情熱持って
「感動」とは「感」じて「動」くと書く。感じて実際に動いてこそ感動である。
天皇陛下は、東日本大震災追悼式において、身をもって誇り高き日本人のあるべき姿を私たちにお示しになられた。心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた後も、依然、胸に水がたまった状態で、医師団はまだご静養が必要だと心配していた。しかし陛下自ら式に出席し犠牲者を悼むことを強く希望されたという。
普段と変わらない足取りで式場に姿を見せられ、黙祷(もくとう)の後、しっかりとした口調で追悼のお言葉を述べられた。会場を出て車に乗られる際には、後から乗る皇后さまのお手を取るお気遣いをなされた。
震災が起こった昨年3月以降、避難所や被災地への両陛下のご訪問は7週連続というハードスケジュールだった。今年に入ってからも、陛下ご自身の健康をお気になさるべき時に被災者の健康状態についてお尋ねになるなど常に被災者と被災地に心を寄せ続けて来られた。
お言葉の中で、震災による津波で亡くなられた方々の中には、「危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません」とし、「被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います」と述べられた。陛下もまた人々の行いに感じて動かれたのだ。
戦後、先達の奮闘努力によって日本は経済的繁栄を謳歌(おうか)した。しかし、その一方で、私たちは「感動」する心を無くしてしまった。衣食足りて礼節を知るというが、その正反対だ。物は豊かでも心が空っぽの物質的感動飽和の状態に陥っている。
それは、日本経済が長足の進歩を遂げた戦後の高度成長期が、偶然にも日本列島の地質学的時間上では極めてまれな大地震が少ない時期と重なったことも要因だ。文明を過信し、自然に対する畏敬の念を忘れていたことも否めない。
古代中国の「杞」の国の人が天地が崩れ落ちるのを「憂」えた故事から、心配無用なことを心配することを「杞憂(きゆう)」と言う。しかし、わが国において、地震とは、「日憂=日本の憂い」ではなく、「日常=日本の常」だと覚悟しなければならない。
1980年代には、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと持ち上げられ、次に目指すべき国のビジョンも描けぬままバブルの泡にまみれた。その崩壊後、失われた20年とともに自信も自負も失ってしまった。
20世紀末、日本は「経済一流、文化二流、政治三流」と言ったが、今や「経済濁流、文化亜流、政治漂流」の状況にある。それは私たち一人一人が、より良い国を創(つく)ろうという確固たる志を持っていないからだ。言葉によって技や術の指導はできても、行動なくして志を伝えることはできない。現在のわが国にはさまざまな分野の指導者はいても、陛下のように真心で感じて動く「志導者」が欠けているのに違いない。
陛下は本当の「感動」とは何かを示された。次は私たち一人一人が感じて動く番だ。震災で亡くなられた方々のためにも、そして、少しなりとも復興のお役に立てるよう、感じる心と感じたら自ら動く情熱を持ち続けたい。
(にしかわ りゅうじん)