夕刻の備忘録 様のブログより。
この期に及んで「内閣支持率」が上がるなど、いくら捏造報道が原因だとはいえ、いささか背中に寒いものを感じる。煽りに弱く、思わず「自爆スイッチを押してしまう人」、どれだけ周りが止めても「何としても振り込ませてくれ!」と叫びながら、振込詐欺に応じる人等々、世の中には色々な方がおられるようで、誠に難しいものである。
あれほど悲惨な国会中継を見れば、誰でも「その正体に気付くはずだ」と思えば、そうでもないのである。あれを見ても、「自民党がクイズで大臣をいじめている」「審議拒否をしている」「政府の足ばかり引っ張っている」とマスコミの誘導通りに、あるいはそれ以上に思う人が少なからずいるのである。ましてや、国会中継を見たこともない人に至っては、どれほどのものか。
★ ★ ★ ★ ★
マスコミの手法は、実に簡単にまとめられる。要するに
「XなのにYばかりである。自民党は怪しからん!」
である。ここで「X」の国民に対する知名度、あるいは重要度が、「Y」よりも少しでも上であれば、この法則は実効性を持つのである。例えば
「震災復興の話をしなければならない時に、
倒閣の話、政局ばかりである。自民党は怪しからん!」
「以後の原発の話をしなければならない時に、
外国人献金の話ばかりである。自民党は怪しからん!」
「予算委員会なのに予算の話ではなく、
任命責任の話ばかりしている。自民党は怪しからん!」
「年金・増税の話をしなければならない時に、
被災地の話ばかりをしている。自民党は怪しからん!」
である。そして遂には
「予算委員会なのに財源の話ばかりだ。自民党は怪しからん!」
に至るのである。予算委員会は予算、及びその執行に関する様々な話題が採り上げられる。従って、予算を組み、それを具体的に運用していく主体である「大臣の資質」が議論されることは当然である。しかしながら、マスコミにより作り上げられたこの「ジミンガーの法則」は極めて強力なのである。
ツイッターなどで流れる「つぶやき」も、このレベルが極めて多い。「予算委員会なのに競馬の話ばかりだ。あれは馬主になれない僻みだ」という物凄いものまであったらしい。あれは大臣の兼業禁止、弁護士としての職業倫理に悖る行為、あるいは脱税、その他諸々の疑惑の最初の切り口なのである。現職の法務大臣が、「法を犯していない」ことだけが自慢であって、肝心要の「法の精神を蹂躙する」ような行為を、日常的に行っている人物だとしたら論外だろう。そうした資質を問う、最初の一手だったのだ。
しかしながら、そんな悠長な話は通じないらしい。要するに、末尾を「怪しからん!」で締めたい人、全ての政治家を軽んじることで自分がそれより上の存在だと言いたい人には、「ジミンガーの法則」は、これ以上ない武器になっているのである。
適当に「X」と「Y」を見付けてくれば、誰でも簡単に自民党批判が出来るのである。マスコミ論調の上に乗って、自分も一人前の有識者気分でつぶやけるのである。自民党批判は快感なのである。何しろ、看板を掲げて批判したところで、警察に引っ張られることもなければ、声を張り上げたくらいで「マスクを外しにくる暴漢」も居ないのである。実に気楽なものである。
★ ★ ★ ★ ★
昨今の学校で、どれほど「将棋」が遊ばれているかは知らない。昔なら、小学校で爆発的にブームになる時期が必ずあって、多くの子供達は、その瞬間に友達に遅れまいとして、最低限のルールだけは覚えたものである。そして、ホンの数ヶ月でブームは去って行くが、彼等の頭の中にルールだけは半永久的に記憶される。よって、大人になってから、普段の会話の中に「詰む・詰まない」という言葉が出て来ても、全く問題なく話は通じるのである。
さて、「ジミンガーの法則」を将棋に当て嵌めれば、どうなるか。
「王将を詰めるゲームなのに、初手から
歩を動かしている。自民党は怪しからん!」
「手数も進んだのに未だに、
歩を使っている。自民党は怪しからん!」
「何故、初手から詰ましにいかないのだ。
王将の頭に飛車を打てば詰みだ。
それが出来ない自民党は怪しからん!」
「重要な対局だというのなら、駒は全部使うべきだ。
手番が来たら同時に三枚でも四枚でも動かすべきだ。
それが出来ない自民党は守旧派だ、存在価値はない!」
国会の質疑には、裁判や警察の「犯人落とし」と同様に、手順が必要である。詰将棋のように、相手の言質を取って、逃げ場のないように追い詰めていく根気と、論理性が要求される。
従って、その対応は随分と遠回りに見える。相手の駒を飛び越えて、いきなり盤上の飛車を王将の頭に打つことなど出来ないのだ。しかし、マスコミはそれを要求する。そして付和雷同の民は、これに歓喜の声を挙げ、その主張に追随する。
「国会で議論ばかりしていないで、被災地に行って働け!」などという、銀河の果てまで届くような見当違いの発言まで、それなりの力を持ってしまう。「野球選手も、たまにはサッカー選手を見習ってボールを蹴ってみたらどうか。そんな工夫すらしないから、人気で追い抜かれたのだ!」。こんな台詞を真顔で吐く大人が、自称専門家がゴロゴロいる。それが我が国の現状である。
大学が何をする所かぐらいは、大学に行っていなくても分かる。これほど大学進学率が高い国において、こうした低レベルの会話が、そこかしこで交わされているのである。およそ大卒の程度が知れようというものではないか。
そういえば民主党にも、「大学中の大学」と目されている所を卒業した輩が多数いる。彼等もまた、「飛車と角を同時に打てば、デフレなど一気に解消する」といったレベルの話しか出来ない愚者である。
一般教養も、古典の知識も要らないから、小学校から大学まで「マスコミの政治プロパガンダ」について学ばせるべきである。「嘘を嘘と見抜けない人は、ネットを使えない」だけではない、当然、現実社会でも騙される一方なのだから。
あれほど悲惨な国会中継を見れば、誰でも「その正体に気付くはずだ」と思えば、そうでもないのである。あれを見ても、「自民党がクイズで大臣をいじめている」「審議拒否をしている」「政府の足ばかり引っ張っている」とマスコミの誘導通りに、あるいはそれ以上に思う人が少なからずいるのである。ましてや、国会中継を見たこともない人に至っては、どれほどのものか。
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マスコミの手法は、実に簡単にまとめられる。要するに
「XなのにYばかりである。自民党は怪しからん!」
である。ここで「X」の国民に対する知名度、あるいは重要度が、「Y」よりも少しでも上であれば、この法則は実効性を持つのである。例えば
「震災復興の話をしなければならない時に、
倒閣の話、政局ばかりである。自民党は怪しからん!」
「以後の原発の話をしなければならない時に、
外国人献金の話ばかりである。自民党は怪しからん!」
「予算委員会なのに予算の話ではなく、
任命責任の話ばかりしている。自民党は怪しからん!」
「年金・増税の話をしなければならない時に、
被災地の話ばかりをしている。自民党は怪しからん!」
である。そして遂には
「予算委員会なのに財源の話ばかりだ。自民党は怪しからん!」
に至るのである。予算委員会は予算、及びその執行に関する様々な話題が採り上げられる。従って、予算を組み、それを具体的に運用していく主体である「大臣の資質」が議論されることは当然である。しかしながら、マスコミにより作り上げられたこの「ジミンガーの法則」は極めて強力なのである。
ツイッターなどで流れる「つぶやき」も、このレベルが極めて多い。「予算委員会なのに競馬の話ばかりだ。あれは馬主になれない僻みだ」という物凄いものまであったらしい。あれは大臣の兼業禁止、弁護士としての職業倫理に悖る行為、あるいは脱税、その他諸々の疑惑の最初の切り口なのである。現職の法務大臣が、「法を犯していない」ことだけが自慢であって、肝心要の「法の精神を蹂躙する」ような行為を、日常的に行っている人物だとしたら論外だろう。そうした資質を問う、最初の一手だったのだ。
しかしながら、そんな悠長な話は通じないらしい。要するに、末尾を「怪しからん!」で締めたい人、全ての政治家を軽んじることで自分がそれより上の存在だと言いたい人には、「ジミンガーの法則」は、これ以上ない武器になっているのである。
適当に「X」と「Y」を見付けてくれば、誰でも簡単に自民党批判が出来るのである。マスコミ論調の上に乗って、自分も一人前の有識者気分でつぶやけるのである。自民党批判は快感なのである。何しろ、看板を掲げて批判したところで、警察に引っ張られることもなければ、声を張り上げたくらいで「マスクを外しにくる暴漢」も居ないのである。実に気楽なものである。
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昨今の学校で、どれほど「将棋」が遊ばれているかは知らない。昔なら、小学校で爆発的にブームになる時期が必ずあって、多くの子供達は、その瞬間に友達に遅れまいとして、最低限のルールだけは覚えたものである。そして、ホンの数ヶ月でブームは去って行くが、彼等の頭の中にルールだけは半永久的に記憶される。よって、大人になってから、普段の会話の中に「詰む・詰まない」という言葉が出て来ても、全く問題なく話は通じるのである。
さて、「ジミンガーの法則」を将棋に当て嵌めれば、どうなるか。
「王将を詰めるゲームなのに、初手から
歩を動かしている。自民党は怪しからん!」
「手数も進んだのに未だに、
歩を使っている。自民党は怪しからん!」
「何故、初手から詰ましにいかないのだ。
王将の頭に飛車を打てば詰みだ。
それが出来ない自民党は怪しからん!」
「重要な対局だというのなら、駒は全部使うべきだ。
手番が来たら同時に三枚でも四枚でも動かすべきだ。
それが出来ない自民党は守旧派だ、存在価値はない!」
国会の質疑には、裁判や警察の「犯人落とし」と同様に、手順が必要である。詰将棋のように、相手の言質を取って、逃げ場のないように追い詰めていく根気と、論理性が要求される。
従って、その対応は随分と遠回りに見える。相手の駒を飛び越えて、いきなり盤上の飛車を王将の頭に打つことなど出来ないのだ。しかし、マスコミはそれを要求する。そして付和雷同の民は、これに歓喜の声を挙げ、その主張に追随する。
「国会で議論ばかりしていないで、被災地に行って働け!」などという、銀河の果てまで届くような見当違いの発言まで、それなりの力を持ってしまう。「野球選手も、たまにはサッカー選手を見習ってボールを蹴ってみたらどうか。そんな工夫すらしないから、人気で追い抜かれたのだ!」。こんな台詞を真顔で吐く大人が、自称専門家がゴロゴロいる。それが我が国の現状である。
大学が何をする所かぐらいは、大学に行っていなくても分かる。これほど大学進学率が高い国において、こうした低レベルの会話が、そこかしこで交わされているのである。およそ大卒の程度が知れようというものではないか。
そういえば民主党にも、「大学中の大学」と目されている所を卒業した輩が多数いる。彼等もまた、「飛車と角を同時に打てば、デフレなど一気に解消する」といったレベルの話しか出来ない愚者である。
一般教養も、古典の知識も要らないから、小学校から大学まで「マスコミの政治プロパガンダ」について学ばせるべきである。「嘘を嘘と見抜けない人は、ネットを使えない」だけではない、当然、現実社会でも騙される一方なのだから。