大正12(1923)年の関東大震災によって人口45万の横浜は2万6600人が死亡、市街地の8割以上が焼失、倒壊する。被害の度合いは東京よりむしろ大きかった。絶望した市民の間では、廃市あるいは、東京市との合併説まで流れたという。
▼当時居留していたほとんどの外国人が神戸に避難してしまい、貿易拠点としての地位も奪われようとしていた。市では彼らを呼び戻そうと、港を見下ろす山手地区に西洋館を再建する。
▼倒壊した「グランドホテル」の代わりに建てられたのが、「ホテルニューグランド」だ。昭和2年の開業以来、国内外のVIPを数多く迎えてきた。ハマっ子が自慢する、異国情緒あふれる景観の多くは、震災復興の過程で作られた。
▼なかでもそのシンボルといえるのが、日本初の臨海公園の山下公園だ。震災のがれきを埋め立てて造られたことが知られて、再び注目されている。野田佳彦首相は、東日本大震災のがれき処理についての関係閣僚会合でこのエピソードを取り上げ、被災地の海岸線を守る防潮林の盛り土や高台整備の材料として、がれきを利用する考えを示した。
▼横浜市役所で長く街づくりに携わった田中祥夫(よしお)さんによると、当時の市役所幹部は、横浜港の機能回復を優先する動きを抑えて、公園事業を進めた(『ヨコハマ公園物語』中公新書)。82年前のきょうオープンした山下公園について、田中さんは市民のこんな喜びの声を紹介している。
▼「震災の洗礼に依る、大破壊のあとの、大なる建設中の傑作として新横浜人の驕(おご)りの随一である」。東北の被災者が、積み上げられたがれきの代わりに「傑作」を目の当たりにするのは、いつの日だろうか。