「東日本大震災追悼式」に思う。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。





天皇陛下は、この日のために日程を調整され御出席になられた。

その御姿を拝見して、安堵の溜息を吐かれた方も多いことと思う。御言葉を頂戴して、誠に失礼の極みではあるが、正直なところ実に見事な美声であったと感じた。恐らくは、術後すぐということもあり、発声の練習もされておられたのではないだろうか。心に滲みる御言葉であり、胸を打つ御声であった。御快復も近いと確信した次第である。

「出席時間は約20分と当初予定の半分に短縮された」と何の敬意も無いマスコミは不作法に報じている。今後は陛下の御出席は、通常でもこの程度の時間に絞って頂くのがよいだろう。「御負担を減らす方向」へと調整しても、陛下は出来る限り多く御出席になられることを希望されるからである。数を減らすのではなく、会場における御負担を出来る限り減らしていくのが本筋であろう。

政府関係者が最前列に並び、防災担当がウロウロと所在なさげに彷徨く様は、実に無様であり不潔でもあったが、これが最後の式主催だと思うことで我慢をした。「型」を軽視し、「型」を侮辱し、「型」と無縁で生きてきた連中に、公式行事など務まるはずもないのだ。

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陛下の御前に絶対に出してはならない人間を、我々は送り出してしまったのである。政権を与えるとは、そういうことなのだと是非とも理解して頂きたい。今の政体では、皇族は政府に意見することが出来ない。皇族の方々は政治以前、遙かに前の段階の日常的な問題まで言葉を奪われている、胸中を語られる機会すらない。そんな状況の中で、日本国の依って立つ基盤である皇室典範を、こんな薄汚れた連中が弄んでいるのである。

ガラスの器を運ぶのに、それが時価一億円だと聞かされれば、大抵の人は運び手になることを辞退するだろう。手が震えて、足が震えて、とても運ぶどころの騒ぎではないからである。「弁償しなくていい」と言われても断るだろう。これは金に怯えているのではなく、その値段が示す価値に怯えているからである。その値段が示す歴史に怯えているからである。

ところが、価値も分からず、歴史も知らない、理解できない人間は、堂々とこれを片手で運ぶのである。「落として割ったら、謝ればそれでいいだろう」程度に考えているのである。本物の運び手は、全てを知った上で覚悟を決めて運ぶのである。無知無能が、デタラメをやるのとは訳が違うのだ。

御皇室は我らの宝である。世界の宝である。その意味を、価値を、歴史を理解しない人間が触れてはならぬものなのだ。皇室典範を片手で軽々と扱うような連中に任せてはならないのだ。

権威者や格上の人間を見ると、やたらと大袈裟に威張ってみせる木偶がいる。「権威に屈しないぞ」とのポーズを取りたがる。平常心を失ったその姿こそ、既に権威に屈している証拠である。皇室に対して一切の敬意を示さず、欠伸をし、居眠りをし、野次を飛ばしてきた連中である。卑屈こそ彼等の代名詞である。

一刻も早く、このような連中が陛下に近づけないように、その身分を奪わねばならない。与野党逆転も、政権交代も、政界再編も、お好みならば何でもやればよかろう。ただし、もうこれ以上、不敬の者を近づけるわけにはいかぬのだ。

天皇陛下の御言葉に従って、より一層「復旧復興に向けて出来ること」をやっていこう。陛下がこの日にかけられた思いを、我らの思いとして、「被災地という言葉が死語になるまで」、精一杯頑張っていこう。日本国民として生きる者の責務として。