国民と苦楽をともにされる天皇。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【正論】震災1年に思う 国学院大学教授・大原康男





■国民と苦楽をともにされる天皇

 東日本大震災からの復興作業が遅々として進まずに、被災者たちが不満や苛立(いらだ)ちを抱く中で、人々の力強い支えとなってきたのが、天皇陛下をはじめとする皇室の方々の温かいお心遣いである。

 ≪“平成の玉音放送”の声も≫

 昨年3月11日、皇居内でのご公務を終え、執務のために宮殿のお部屋に入られた直後に震災に遭われた陛下は、ご執務を続けるかたわら、刻々と報じられる甚大な被害状況に深くお心を痛められ、翌12日には取りあえず、被災者と災害に対処している人々へのお気持ちを羽毛田信吾宮内庁長官を通して菅直人首相に伝えられた。

 震災から5日後の16日には、ご自分で推敲(すいこう)された懇篤なお言葉をビデオメッセージという形で公にされた。被災者へのお見舞いと激励の意を表されるとともに、被災地救援に出動した自衛隊・警察・消防・海上保安庁などへの労(ねぎら)いのお気持ちを込められ、さらに、一般国民に対しても被災地への同情と復興に向けての支援・協力を切々と訴えられたのである。

 陛下がこのような方法で国民にお言葉を送られたのは初めてのことであり、感銘を受けた人々の間から、これを“平成の玉音(ぎょくおん)放送”と称(たた)える声も起こった。敗戦以来最大の危機に直面して示された-昔風の表現を使えば-まさしく、「国父」としての重みを持ったお言葉だったといえよう。

 それは単にお言葉にとどまらなかった。13日に東京電力による計画停電が公表されるや、陛下は、「国民と困難を分かち合いたい」とのお気持ちから、早くも15日には御所で「自主停電」を始められている。御所のある千代田区は計画停電の対象地域とはなっていなかった。その御所で、計画停電の「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせて、数時間にわたって電気を一切使わない日々を送られたのである。

 ≪「人民ノサムカランニ…」≫

 国民に与えた影響の大きさは、「国民にとって元気の源になります」「できることを実行されていることに感謝する」といったツイッターへの書き込みが、当夜までに3000件ほども寄せられたことからも窺知(きち)できる。

 東京電力の当初の予定では、計画停電は4月30日までとされていたので、陛下も「4月30日まで行う」と明言されていたのだが、それが予定より早く終わったにもかかわらず、御所の「自主停電」は4月30日まで続けられた。

 「綸言(りんげん)汗の如し」(天子の言葉はいったん発せられたならば、汗のように元に戻すことはできない)ということであろうか…。

 ここでふと想起するのは、平安時代中期の一条天皇(第66代)の逸話である。鎌倉時代の説話集、『続古事談』によれば、天皇がある冬の寒夜に突然、衣服を脱ごうとされたので、廷臣が驚いて止めようとしたところ、「日本国人民ノサムカランニ、ワレアタタカニネタル事、無慙(むざん)ノ事ナリ」(国民は寒いだろうに、自分だけが温かな寝床で寝たことは恥ずかしい)とおっしゃったという。

 史実としてあったかどうかは定かではないとしても、こうした話が語り継がれているのは、「国民と苦楽を共にする」という思いが皇室に綿々と伝えられているからにほかなるまい。

 那須御用邸の職員用の風呂を那須町に避難している被災者に開放されたのも、御料牧場で生産している卵や野菜などを提供されたのも、すべて陛下のご意向によるものである。

 何といっても全国的に大きな反響を呼んだのは、阪神淡路大震災や中越地震に続いて天皇・皇后両陛下が直接、被災地をお訪ねになり、親しく被災者を慰め励まされたことである。

 ≪昭和天皇の行実を模範として≫

 今回のご訪問も、関東大震災直後に、東京と近県の被災地を巡視された昭和天皇(当時は摂政宮)のご行実を範とされたものと承る(この時、摂政宮は「皆玄米を食べているなら、私も食べよう」と言われた由)。

 3月30日に、東京都武道館に避難していた被災者たちに会われたのを手始めに、4カ月近くにわたって、岩手、宮城、福島、栃木、茨城、千葉、東京、埼玉の8都県の各地の避難所などを精力的に回られた。

 天皇陛下は床にひざをつき、被災者の一人一人に声をかけられ、皇后陛下はお年寄りの手を取って話しかけられる光景が至るところで見られ、それによって多くの人がどれほど慰められ、励まされ、復興への希望と決意を新たにしたことか、もはやこれ以上、多言は要しまい(皇太子殿下をはじめ各皇族方もこれに倣われた)。

 「非常事態の時こそ、その人の本性が現れる」といわれるが、個人にとどまらず、国家ないし民族そのものの本性も現れるに違いない。今般の大震災によって日本人は「天皇は日本国民統合の象徴である」という事実を心底より体認したのではなかったか。

                               (おおはら やすお)