【産経抄】3月8日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









JR福知山線で起きた列車脱線事故から1年近くたったころ、読売新聞夕刊に載った特集記事の写真に、思わず引き込まれた。亡くなった人たちが現場に遺(のこ)した、携帯電話の画面である。

 ▼着信履歴が「お父さん」の文字ばかりの携帯があった。持ち主の女子大生は事故の当日、父親と食事の約束をしていた。ハートマーク付きのメールは、71歳の男性の妻が、事故後もずっと送り続けたものだ。遺族が保管している携帯は、故人が生きた証しだった。

 ▼東日本大震災で津波に襲われ、宮城県南三陸町の防災対策庁舎で亡くなった町職員の三浦亜梨沙さん=当時(24)=は、流される直前に恋人とメールを交わしていた。先日公開されたメールは、恋人だった男性が昨秋、亜梨沙さんの写真とともに遺族に届けたものだという。

 ▼「6メーターの津波きます 頑張って生きます」「ぜってー死ぬなよ!」「うん、死なない!! 愛してる!!」「オレも愛してるよ あ、こっちはなんともねぇ」「よかった~!! 大津波きた!!」。二人が相手の無事を祈りながら、文字を打ち込む姿が目に浮かぶ。

 ▼作家の清水義範さんによれば、日本人のメール好きは、平安時代の短歌のやりとりと似ているからだという(『身もフタもない日本文学史』PHP新書)。平安貴族が相手の気を引くために短歌に技巧をこらしたように、亜梨沙さんたちも極限状態にありながら、たくさんのハートや泣き顔の顔文字など、メールに工夫を忘れない。

 ▼亜梨沙さんが無事だったら、二人の「相聞歌」は、最高の思い出になったはずだ。大震災からもうすぐ、1年。ようやくまな娘のメールを読み返せるようになった母親にとって、大切な形見である。