シリーズ・【父たちの満州】 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










「建国」から80年(2)見果てぬ夢






日本に負けない国」目指す


 昭和21年秋、旧満州国の首都、新京(現中国・長春)から一家で鹿児島市に引き揚げてきた当時10歳の面高春海(おもだか・はるみ)(75)が驚いたことが2つあった。

 電話が交換手を通す方式だったのと、くみ取り式トイレである。当時の日本からすれば信じられないことだが、当時の新京にはすでにダイヤル自動式の電話があり、トイレは水洗だったという。

 ◆平和で豊かな暮らし

 前回書いたように、新京の面高の家は新京駅北側で経営する製材所に隣接していた。れんが造りの2階建て、地下室もあるちょっとした「豪邸」だった。

 日本の戦況が厳しくなるまでは暮らしぶりも豊かだった。自家用の馬車があり、中国人の馭者(ぎょしゃ)もいた。面高は2年生ごろまでこの馬車で小学校に通った。

 面高だけではない。10年前、満州など中国育ちの漫画家たちが当時の思い出を絵と文で描く『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』という本がミナトレナトス社から出版された。赤塚不二夫、森田拳次ら豪華なメンバーだ。

 引き揚げのつらさや怖さを描いたものもあるが、多くは平和で豊かな当時の生活である。『あしたのジョー』のちばてつやは、奉天(ほうてん)(現瀋陽)の街のにぎわいを再現している。新京で生まれた『釣りバカ日誌』の北見けんいちの思い出は、児玉公園の凍った池での父親とのソリ遊びである。

昭和7(1932)年3月1日に誕生した満州国は表向き、執政(後に皇帝)の溥儀(ふぎ)を頂点とし立法、行政、司法などの機能を持つ近代国家の装いを整えていた。

 だが実態は、関東軍が「内面指導」する形で実権を握り、国づくりはほとんど日本人の手に託されていた。

 その基軸となったのが「産業開発5カ年計画」である。それまで満鉄(南満州鉄道会社)の沿線付属地にしかなかった重工業の飛躍をはかるものだ。実施に当たっては、日本の大蔵省や商工省から敏腕の官僚たちが行政の中枢に送り込まれた。後の首相、岸信介もその一人だった。

 昭和12年にスタートした5カ年計画は、この年に起きた日中戦争の激化で修正を余儀なくされたが、日本からの多額の投資や日本企業の満州移転などで、大きな成果をあげる。

 12年には日本から移転した日本産業(日産)と満州国とが折半出資する「満州重工業開発」(満業)が設立された。その傘下には自動車、鉄鋼、航空機メーカー、軽金属、炭鉱、鉱山などの会社が入り、それぞれの生産量は飛躍的に増える。

 14年に任務を終えた岸は、その記者会見で「何もない所に相当なものを、3年ばかりの間に作ったのですから」と胸を張った。

 5カ年計画と、もうひとつの柱「二〇カ年一〇〇万戸移住計画」によって多くの日本人が満州に渡った。一時は150万人を超え、中国や朝鮮からも仕事を求める人がこの地になだれ込んだ。

新京をはじめ奉天やハルビンなどの大都市は経済力を背景に近代都市に生まれ変わった。その大都市を結ぶ鉄道として満鉄は路線を延ばす一方、時速82・5キロと、日本の特急よりはるかに速い特急「あじあ」号が、大連とハルビンの間を走った。

 工業だけでなく、当時「娯楽の王様」になりつつあった映画界に甘粕正彦(あまかす・まさひこ)が理事長をつとめる満州映画協会(満映)が設立された。李香蘭(り・こうらん)(山口淑子)らのスターを生んでいく。

 ◆戦後復興のモデルに

 そうした満州の国づくりに当たる日本人に共通していたのは「内地(日本)に負けない国にする」という意識だった。前出の面高によると日本から渡ってきた先生たちも「内地より立派な子供を育てたい」と熱心に教育した。

 一時的だったにせよこの豊かさは、昭和に入っての不況から抜け出せず、日中戦争の泥沼化の中で閉塞(へいそく)感の漂う日本の国民の目に何とも魅力的だった。「お嫁に行くなら満州へ」という若い女性も少なくなかった。

 その魅力も日本が米国との戦争に突入したことで次第にしぼんでゆき、昭和20年の敗戦とソ連軍の侵入であえなくついえた。

 だが満州国を「偽」として認めない中国はその後、満州国の産業やインフラの「遺産」をしっかり活用した。中国の経済成長が旧満州から起きたのがその証しだ。

 一方で、首相になった岸信介が高度成長の基盤を築くなど、満州での試みをもう一度やり直そうとしたのが戦後の日本だったという見方もある。「見果てぬ夢」は形を変え、日本に受け継がれているのかもしれない。


                              =敬称略(皿木喜久)




草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。 

             昭和10年代中ごろの新京・大同大街。メーンストリートのひとつで、

                            経済発展とともににぎわいを増していった。