西村眞悟の時事通信 より。
かつて聞いた話で、忘れがたく、しかし、今や詳細を確かめる術もない話しがあった。
芦屋の故佐藤武英さんから聞いた、帝国海軍潜水艦に関する
情の民族である日本人の武士道の物語である。
佐藤さんは、もはや、故人となられたので、生前、あの物語を確かめておけばよかった、と時々思っていた。
そのようなとき、近くにいる親しい方から、その話しを教えてもらったのだ。その人は、幾度も共に台湾に行き、また早朝の「朝立ち」も共にしてくれる、
日本と台湾の未来を考える会会長の海老原郁二さんだ。
長年確かめたくって果たせず、今朝海老原さんに教えてもらった物語を次に書いておきたい。
帝国海軍潜水艦伊12号、艦長工藤兼男海軍大佐(海兵56期)は、昭和20年1月、マーシャル諸島付近海域で、護衛もなく単艦で航行している連合軍(アメリカ軍)の帆船を発見する。
伊12号が、潜望鏡で発見したその帆船は、ドイツの航海訓練帆船パミール号で、連合軍が接収して輸送船として使っていた。
伊12号は、浮上し、パミール号に対する攻撃態勢をとった。
伊12号に気付いたパミール号の乗組員は、死を覚悟して呆然と伊12号を見つめるだけだった。
すると、伊12号からパミール号に発光信号が送られてきた。
それは、
「本艦は、貴艦の美しい姿と勇姿に接し、撃沈するに忍びず。無事な航海を祈る。」
であった。
そして、伊12号は潜航して海面から姿を消していった。
その数日後の昭和20年1月13日、伊12号は同海域において消息を絶った。
この伊12号の措置は、パミール号乗組員によって戦後語り伝えられたものである。
しかし、日本では、伊12号のことは知らされなかった。
昨日書いた、GHQの検閲指針によって日本国民には封印されたからだ。