「だからこそ」はカルトの思想。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。





風邪を引いて熱がある。
そんな時「こそ」、外で汗をかけ!

腹具合が悪くて食欲がない。
そんな時「こそ」、刺激物が食欲をそそる。

貯金も使い果たして金がない。
そんな時「こそ」、最後のギャンブルで勝負しろ。

消費が低迷して経済が混乱している。
そんな時「こそ」、増税で大逆転だ。

災害、有事、国難、政治の力が試される今。
そんな時「こそ」、素人の発想が必要だ。

「今こそ」
「こんな時こそ」
「だからこそ」「だからこそ」……

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体力の弱っている時に、激しい運動をしたり、刺激物に頼ったりして、「偶然」治る人もいる。それがまるで奇跡か新療法のように、大袈裟に伝えられるのは、その一方でそれが理由で亡くなった人が「声を挙げられない」からだ。治った人はブログにツイッターに、「あなたにもオススメ」とばかりに書き立てるが、残念ながら「あの世」には未だ如何なる通信手段も無い。

宝くじに当たった人は騒ぐが、外れた人は話題にもしない。従って、当たった話ばかりが世間を賑わす。「奇跡」と称するものの大半は、この理窟で説明がつく。ちょうどこの瞬間に「壊れる運命にあった時計」も、ちょうどその瞬間に「念じた」人から見れば、「私の念力で時計を止めた」ということになる。

専門家を侮辱して、素人を持ち上げるのは「カルトの思想」である。
文化大革命の発想である。
他人の不幸に付け込む、禁断の手法である。

学者は何も分かっていない。
官僚は自分のことだけだ。
政治家なんて馬鹿ばかりだ。

そういうアンタは何者だ。
確かに何も分かっていない学者はいる。
確かに保身の見本のような官僚もいる。
馬鹿な政治家が多いことも事実だ。
(確かに民主党は全員ダメだ)。

安物の啖呵を切って大学批判をし、「大学批判ができるほどの私」を強調して、自分を高く見せようとしても、ツイッターの相手が「学長」だということもあるのが、ネットの恐いところである。しかし、それでもこうした輩が絶えないところもネットならではか。

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世界的な金融危機、リーマンショックの最中に、我が国はあらゆる意味で「素人集団である民主党」に政権を任せた。こんな時だからこそ、「若くて新鮮な議員の多い民主党」が機能する。「一度やらせてみたらいい」。自民党にできることが「民主党にできないはずはない」。専門家の集団である「官僚には見えないこともある」のだ。自民党にはできないことも、「民主党ならできる」のだ。こんな与太話ばかり聞かされたものである。

そして、歴史は繰り返す。
それにしても繰り返す。
何故こんなにも歴史は繰り返すのか。

行政の素人を首長に選び、子供でも書かない「政策」を評価し、過去に囚われない、利権から遠い、専門の縛りの無い「素人だからこそ」、地方行政を、国を変えてくれる。変えてくれるはずだ。きっと変えてくれるだろう。そう考える人が過半数も居るのである。

そして、その人達は何を変えて欲しいのか、自分でも分かっていない。唯一つ挙げられることは、変えて欲しい「私の気分を!」であろう。そんな程度の話なら床屋にでも行けば済むのではないか。

マスコミが「閉塞感」を声高に主張するから、「この閉塞感を何とかしろ」と言い。「自民党が審議拒否をしている」と言うから、「自民党は妨害ばかりしている」と言う。事実誤認とマスコミ誘導、視野狭窄と素人礼賛、その類い希なるブレンドが、今の国民の多数派である。

府を都にしても財政は好転しない、ましてや雇用など生まれるはずもない。コストカッターが齎すのは「新・格差社会」である。確かにこれは新しい。「格差社会をリニューアル」して、さらに深めてくれてはいる。変えて欲しいのこの点なのか。自民党に足を踏まれるのは嫌だから、民主党に心臓を抉って貰いたいのか。

民主党の政治を見れば分かるではないか。自民党政治に問題が多々あったことは否定しないが、彼等はその問題をさらに深刻にし、さらに解決不能の問題にリニューアルしただけではないのか。

大勢の命を与るパイロットに素人を据えるか。
ましてや既に飛行中である。
乱気流の中に居る。
それでも素人に変えるのか。

自らの命を預けた執刀医を素人に変えるのか。
ましてや既に手術中である。
過去に脱税をしていた。過去に愛人がいた。
そんな不潔な人間に我が身は任せられない。
そんな理由で手術中の執刀医を素人に変えるのか。
批判をしたいなら、せめて手術後にしたらどうか。

こんな話は山ほど出た。懸命に説得をした人達も多くいた。しかし、破壊衝動に突き動かされた「だからこそ信者」は、見果てぬ夢を見るのである。彼等が「だからこそ」と唱える時の得意満面の表情を思い出して欲しい。まさに白昼に夢見る人の表情である。

ノーベル賞受賞者でも気付かなかったことを、素人だからこそ見付け出した―本当にそんなことがあれば、その人もノーベル賞を貰うだろうに。経営の素人だからこそ、無駄を省いて傾いた会社の再建が出来る―社員の首を切り、設備投資を止めれば、誰でも短期の帳簿は綺麗に出来る。

「発想の転換」だとか、「素人的な視野の広さ」だとか、百万件に一つの当たり籤を引き合いにして、一般論にすり替えるのは止めて頂きたいものである。周りは死屍累々なのである。専門家を侮辱して、物事の基本を軽視して、何かが出来ると思い上がる気質こそ、我が国に蔓延している深刻な病である。「こんな時だからこそ」警告したい。