それでも「保守」か? | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【40×40】笹幸恵





 フリーになる前、私は編集記者をしていた。初めて執筆や取材を依頼するときは、どんな人であれ緊張したものだ。それは今でも変わらない。こちらの取材意図がきちんと伝わるよう細心の注意を払い、誠意をもって対応する。基本は手書きで手紙を送る。そのための封筒と便箋は、相手によって変える。もっとも、一度に多くの人に執筆を依頼するような雑誌の企画では、手書きなど今どきあり得ないだろう。ワード文書のほうがスッキリしていて見やすいという利点もある。

 しかし最近は、それすらもしない人がいる。ある雑誌では、電話で企画趣旨を説明し、それで私への執筆依頼が完了したと思ったらしい。これまで何度も仕事して、お互いに気心が知れているのならわかるが、初めて依頼を受ける雑誌である。この場合、普通は雑誌の最新号ぐらいは送るものだが、それさえない。催促して送ってもらった企画趣旨を見ると、「海外の戦地をよく訪れている人」という程度の認識で依頼してきたのが一目瞭然だった。あまりに失礼である。

 時を置かずして、今度は別のある団体から講演の依頼があった。知人の紹介ということだったが、夜、携帯電話のショートメールに「○月○日○時に講演をお願いしたいので電話ヨロシク」と記されていた。これ、私に電話しろってことか。

 そういえば2年ほど前も、ある新聞社から寄稿を依頼されたことがあったが、二重線で誤字を訂正したワード文書のコピーであった。修正するくらいなら印刷し直せ。そのぐらい、さしたる手間ではないはずだ。

いずれも、あまりに安易である。新入社員だって、もうちょっとマシだろう。しかも彼らは保守を標榜(ひようぼう)している。その旗を掲げるなら、ごく一般的な礼節ぐらいわきまえなさい。誰に対してもこんなふうに安易かつ乱暴な対応をしているのなら、社会人として二流である。それとも、大御所センセイに依頼するときは平身低頭なのだろうか。人によって態度を変えているなら三流である。


                                 (ジャーナリスト)