【正論】大阪大学大学院教授・坂元一哉
自衛隊が合憲とされる根拠は何か。先週、国会でそう質問された田中直紀防衛大臣は答えに詰まった。質問者はいわゆる「芦田修正」に言及したが、大臣は「理解していない」とあっさり白旗をあげたのである。
せっかく「助け舟」を出してもらっているのだし、防衛大臣なら、そんな大事な質問には、きちんと答えてほしかった。昔だったら国会が止まりかねない失態ですよ、と言いたくなる人も多かったのではないか。私も大臣の答弁にはいたく失望した。ただ、「理解していない」のに「助け舟」に乗ったりしなかったのは、賢明だったかもしれない。
≪全く違う近年の政府見解≫
というのも、政府が自衛隊を合憲とする根拠は「芦田修正」ではないからである。少なくとも近年の説明はそうではない。たとえば、平成16年6月18日付の政府答弁書には次のようにある。
「憲法第9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第13条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している」
≪平和的生存権と幸福追求権≫
憲法は、自衛のため必要最小限度の範囲での実力(武力)行使を禁じていない。そのための組織である自衛隊は憲法に違反しない。その根拠はといえば、前文の「平和的生存権」と13条の「幸福追求権」だ、という答弁である。
いわゆる「芦田修正」は、憲法制定時に芦田均(後に首相)を委員長とする衆議院の憲法改正小委員会が、憲法9条の草案に対してなした修正である。9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を入れ、日本が陸海空軍その他の戦力を持たないのは、国際紛争解決の手段としての武力行使をしないという目的のためであることを明確にした。芦田は憲法制定後に修正についてそう説明している(芦田の説明に対して歴史家の中に疑問を呈する向きもあるが、それはここではおく)。
芦田の主張はこうだ。
憲法9条は第1項で国際紛争解決の手段としての武力行使を放棄している。そして2項で戦力の不保持をうたっているが、冒頭に「前項の目的を達するため」とあるから、不保持はあくまで、国際紛争解決のための武力行使を目的とする戦力の不保持であって、自衛のための戦力を持てないわけではない。であれば自衛のために戦力を保持する自衛隊は憲法違反ではない。
私は、政府が「芦田修正」と芦田の主張を自衛隊合憲の根拠にしていれば、戦後日本の安全保障政策は随分と違ったものになっただろうと思う。なぜなら、もし「芦田修正」と芦田の主張を根拠にしていれば、自衛隊には、自衛(個別的自衛)のための武力行使以外に、集団的自衛や国連の集団安全保障のための武力行使の道も開けただろうからである。どちらの武力行使、そしてそのための戦力保持も、9条1項に言う意味での、国際紛争解決を目的とするものではない。
≪政府解釈進めて他国民守れ≫
だが政府のこれまでの憲法解釈は、引用した政府答弁にもあるように、武力行使を「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合」に限って「必要最小限度」の範囲で認めているに過ぎない。ここで言う「国民」はもちろん自国民のことで、他国民は含まれない。
政府の解釈は、自衛権すら否定しかねない戦後日本の特異な言論空間の中で、自衛隊創設を可能にした。そのことは高く評価すべきである。だが、自国民を守る武力行使はよいが他国民はだめ、という解釈は、国連にしろ日米同盟にしろ、安全保障を集団的な枠組みで維持する日本の現実とは平仄(ひょうそく)が合わないのもまた事実だろう。
これをどうすればよいか。私はいまさら政府が「芦田修正」と芦田の主張に戻るのは、難しいだろうと思う。
それより、政府の解釈を一歩進めるやり方で平仄を合わせてはどうだろうか。すなわち憲法前文が「平和的生存権」を日本国民だけでなく全世界の国民に認めていること。同じく前文が、自国のことのみに専念して他国を無視してはいけないと戒めていること(これは「幸福追求権」についてもあてはまるだろう)。さらには、日本が平和の維持などにつとめる国際社会において、「名誉ある地位」を占めたいとしていること。
それらのことを踏まえて、他国や他国民が不法な武力攻撃を受けた場合、わが国がその排除のために、必要最小限度の範囲で武力(実力)行使を行うことを憲法は禁じていない。そういう解釈にしてはどうかと思うのである。
(さかもと かずや)