戦後体制からの脱却-4 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




「物忘れの酷い大人達」が生み出した「何も覚えられない子供」、子供のまま大人のフリをしている異様な人間達。彼等は自らをこう呼ぶ、「団塊の世代」であると。

占領日本において生まれた「新日本人」の象徴である。「新しさ」に何の価値も見出さない人なら、この意味が分かるだろう。要するに何の実態も無い、「彼等の存在自体が捏造されたブーム」であるということである。

世代論に与する者ではないが、「団塊」を自称する人で、正常な感覚を持った人に出会った経験が無い。同じ世代に属する人でも、まともな人は自ら進んで「自分自身にレッテルを貼る」ような珍妙な真似はしないからである。従って、所謂括弧付きではあるが「団塊」を用いざるを得なくなる。ほとんど例外無しに「自称派」はオカシイのだから。

これまで「この問題は理解され難いだろう」と考えてきたが、今はそうでもない。「国会を見て下さい」と言えば、たちどころに理解される。遠い遠い昔に失脚していたはずの連中が、ゾロゾロゾロゾロ、まさにゾンビの如く甦ってきて、党の要職を占め、何と閣僚になり、何と何と総理大臣にまでなった。

火焔瓶を投げ、コンクリートブロックで警官に重軽傷を負わせ、機動隊員を殺した連中。それを煽り、彼等に弁当を配り、転じては彼等の弁護を引き受けてなお「政治闘争」を展開していた連中が「政府ごっこ」をしている。ヘルメットを目深に被り、顔全面をタオルで覆って、「我々のーー」「要求するものはーー」「帝国主義がーー」とやたらに語尾を伸ばすアジ演説が定番であった。今彼等は国会の内外で「自民がーー」と吠えている。

角材を手に手に「武装訓練」をしていた。日常的に警察無線を傍受していた。大学の内外で、彼等は「革命ごっこ」をしていたのである。それはまさに日常的な、ありふれた光景であった。そして、それを今なお自慢話にしているのだ。物を壊し、人を傷付け、裏切り、社会全体に途方も無い損害を与えた行為を「総括」するでもなく、恥じ入るでもなく、批判に曝されれば誤魔化し、好意的だと見れば「あの頃は元気だった」と嘯く。

人は顔で判断すべきなのだ。顔を見れば分かるものだ。高潔な人格、他人を思い遣る心、教養、知性。残念ながらそんなものは分かりはしない。そんなものは幾らでも偽装出来る。何より顔に出るのは、「意地汚さ」である。「姑息さ」である。「傲慢」であり、「差別意識」であり、「劣等感」が極まった「優越感」である。馬鹿がバレるのが恐くてしようがない「卑屈さ」である。何があっても、破顔一笑出来ない「心の怯え」である。これはどうにも隠しようがない。どうしても顔に出る。不信があれば与党議員を見よ!

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古い話と思う人もいるだろうが、高々一世代の話である。生き証人が山ほどいる時代の話である。神戸の震災から十七年が過ぎた。十七年を経過してもなお、傷の癒えない人達が数多くいる。それほど時間が掛かるものだ。にも関わらず、何と敗戦直後から、「まるで浮かれたような時代」が作られてきたのである。それは明らかに、戦前の全てを悪とし、戦後の全てを肯定するように仕組まれた一つの「物語」であった。そして今、我々はその物語の延長線上で生きているのである。

昭和四十年には、日本テレビが「11PM」を開始した。
司会は大橋巨泉である。その後、愛川欽也がこれに加わった。

彼等の主張は何であったか。巨泉は番組中にしばしば、「裸と政治」だと豪語していた。政治ネタもやるが、エロも追求するというのだ。政治を貶めたいのか、裸を崇めたいのか、その何れであるかは知らないが、何もかも混ぜて誤魔化そうという意図は、ありありと見えていた。真面目な議論が袋小路に入れば裸で誤魔化し、露出が過ぎれば安保闘争のネタで真面目を気取る。

詭弁が正論のフリをして、罷り通っていたのである。片手に「朝日ジャーナル」、片手に「平凡パンチ」、それが彼等の自慢であった。何をやっても中途半端な連中には、これが便利な逃げ口上になった。大学には通わず、教科書さえ買わず、読むことすらなく、大声で喚き散らす人間だけが「英雄視」されたのである。

雀荘とデモの往復が彼等「革命戦士」の日常であり、金に困れば女に泣き付き、同棲という名の下宿屋暮らしをしていた。田舎からの上京組は、多くこれに引き摺られた。バカ騒ぎを横目に虚無的になる者も多かった。『大阪で生まれた女』という曲をフルで聴けば分かることだ。彼等が如何に「同世代の恥辱であった」か。

戦後体制とは、「洗脳の体制」である。

マスコミを利用し、そこに群がる愚か者達を利用し、国家意識や家族意識を徹底的に侮蔑して、日々懸命に暮らす人々を冷笑する、自称インテリ、中身はヤクザのチンピラどもが営々と続けて来た、護り続けてきた体制である。

アメリカが憲法を押し付けたから出来た体制ではない。
日本人がこれを押し戴いたが故に出来た体制である。

その象徴が「団塊」であり、それを生み出した親達である。戦後体制からの脱却とは、彼等を完全に葬り去ることから始めねばならない。そこからでなければ始まらない。表舞台から引き摺り降ろさない限り、どんなに制度を変えてもダメなのだ。早寝早起きに生活習慣を変えたところで、癌は除去出来ないのと同じ理窟である。