「岸」
御製
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
皇后陛下御歌
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
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そのかみ、「日知(ひじり)」と呼ばれた天皇は、いまなお、諸人には見えない「日」-時を見ておられるのであろうか。
かねて、宮中歌会始のお題と出来事の間には、曰く云(い)いがたい暗合があるように私は感じてきた。その最も劇的な一つは、平成十八年一月、「笑み」のお題のときだった。同年九月六日、悠仁親王のご誕生となって日本国中が歓喜した。昨年一月に「岸」のお題が発表された二カ月後には東日本大震災が起こり、知る人は驚愕(きょうがく)した。
これは両陛下の和歌にどのように反映されるであろうかと、半ば戦(おのの)く気持ちで私はご発表を待ちうけてきた。そして今年の歌会始でのお作品を拝するや、まさに畏怖の念に打たれたのである。
御製(ぎょせい)は、釜石から宮古にかけて上空からご視察の折のご感懐と伝えられる。が、津波来襲の時をも知らぬげに青々と静まりかえった海の大観であるゆえに、かえって恐ろしいものを感じさせられる。かの「時」はどこへ行ったのか。この問いを明らかに美智子さまは受けついで《季(とき)のなく》と仰っている。「季」とは、一見、難解だが、下の句に「歳時記」とあることから、季節、季語のように「分かつ時」を表しているかと解釈される。さらわれた近親者を岸辺に立って待ち続ける人に四時を分かつ時はない。いや、そもそも歳時記に「岸」という文字さえないではないか-。
かねて私は、両陛下の「二重唱」とひそかにお呼び申しあげてきている。歌会始でのご発表以外のお作品まで加えれば、優に三十組を超えるであろう。しかし、どのように主題が変わっても、お二方のご詠歌は常に変わらぬ中心軸を共有し、それをめぐる両輪の回転から透明光が放射されつづける。このたびは、「時」-「季」が、回転を進める両輪の車軸をなしたものと拝される。
といって、至高なる二重唱は、現実ばなれしたものではない。苛烈な現実-歴史を避けることなく、真っ直ぐにそれを受けとめる姿勢を貫かれてきた。ただし、日本国最高の祭司、すめろぎとして、対立とは反対の、安らぎと鎮魂のお心をもって、である。
つまり、歴史と霊性の両世界の接点に立つことで、つねに比類なき二重唱は生まれてきている。その立ち昇る調べにかくも国民的感動が湧き起こるのは、現下の日本に最も欠ける英雄的なるものをさえ、王者の威風のもとに誰もが感知しているからではなかろうか。
勇気と、虔(つつ)しみと、である。
わけても代々の天皇は「虔しみ」-道徳的「慎み」の更に奥の-を最も励行され、今上天皇はそれを皇太子時代から、特に新嘗祭を執行される御父君の傍らで身につけてこられた。《歌声の調べ高らかになりゆけり我は見つむる小さきともしび》の名歌はここから生まれている。ご即位後、これら数々の神事を陛下は御自ら厳修され、美智子さまはこれに深いご理解を示され、そこから立ち昇る祈りと愛の二重唱は類(たぐ)いなき芳香をもって全国民を打ってきた。
その大元にあるものは、ひとり祈る天皇である。元日の未明、雪降る賢所の庭に御身を伏せ、ひたすら国家鎮護を祈られる歳旦祭(さいたんさい)ともなると、その姿は、もはやなんぴとの目にも届かない。篝火(かがりび)に映える《雪積む》周囲を詠まれた御製はあるが、詠み手ご自身は透明である。
日本の夜明けは、例年、目にみえないこの一点からもたらされてきた。克己的というだけでも甚だ困難な、このような苦行に、云うところの「女系」、「女帝」が耐えられるのだろうか。
システムの改変では済まされない問題がそこにはあろう。両陛下の「岸」の調べは、そこまで私どもを引きこんでいく意味で、いよいよもって戦慄的なのである。(寄稿)
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【プロフィル】竹本忠雄
たけもと・ただお 昭和7年生まれ。文芸評論家、筑波大名誉教授。霊性文化の次元から日本の理解と復権を目指して多年、日欧間で講演と評論活動に従事。コレージュ・ド・フランス招聘(しょうへい)教授として『マルローと那智滝』連続講義及び出版、皇后美智子さまの御撰歌集『セオト せせらぎの歌』の仏訳を刊行。著書に『皇后美智子さま 祈りの御歌』『天皇 霊性の時代』など多数。