【正論】東京工業大学名誉教授・芳賀綏
日本人が復旧・復興の底力を示す一方で、政治の劣化と思想の混迷は甚だしい。教養に欠け国家の柱石となる自覚もない政治家の迷走は寒心すべきだ。大喝してほしい先覚者の一人が近現代史上の大思想家、河合榮治郎である。
≪決然と不退転の言論貫く≫
河合は全集23巻を遺(のこ)した戦前の東大経済学部教授。マルクス主義と闘争し、次いでファシズム反対の論陣を張った超重量級の“戦闘的自由主義者”で、二・二六事件を決然と批判する一文を公にするなど不退転の言論が因となって、出版法違反で裁判に問われ昭和14年、東大教授の職を追われた。
教育に最大の使命感を燃やした河合が翌15年、“国民の教師”の意気込みで筆を執り、一気呵成(かせい)に書き上げた『学生に与ふ』は、戦時下に「人生の書」として爆発的に歓迎され、21世紀初頭まで続刊される超ロングセラーとなった。無数の学生・勤労青年が人格形成の導きを心に残したのだった。
人格主義・教養主義に立脚した河合は、恩師の新渡戸稲造譲りの「社会的実践を必須とする教養」を旨とし超人的力を注いで「自己鍛錬こそ教養」と説いた。門下の猪木正道元防衛大学校校長によれば同書は念願の“理想主義体系”を書く前段階を意図していた。
全27章、教育・学問・友情・恋愛・職業…と人生万般を説いた中に、「同胞愛」の章があることは意義が深い。人格主義を基礎に自由主義思想を理論化・体系化した河合は、同胞愛なき者に人格の完成などあり得ないと考えていた。「同胞愛」に結ばれた「祖国」。その祖国を真に、「愛して愛し抜き得る者は人格成長を念とする教養の士でなければならない」。
≪同胞愛は人格と教養に不可欠≫
「教養」を忘失した政治家などが「愛国心」を忌避・敵視するのは道理、と腑に落ちる。東日本大震災後、国民多数の間には同胞愛が湧き起こり、憂国と復興に燃える国民は統治の意思も能力も欠く政権を見放した。反国家的成員が常に影響力を行使する勢力には、河合の鉄槌(てっつい)こそ待たれるのだ。
国民は共通の伝統・歴史に結ばれた文化共同体であり、国家の母体である。昭和15年の河合の表現では、「国家の威権の主体」たる天皇は同時にその共同体の「感情の中心」である。今に言う「国民統合の象徴」は同義と考える。頻繁に交代する権力者が感情の中心になど立てないことを、国民は百も承知だ。同胞愛を説いた河合が「国民の自然に流露する感情の中枢」に立たれる天皇への崇敬に叙述を進めたのは、当然すぎた。
ところが、右の章を見たのか、愛国、天皇崇敬は自由主義と矛盾するのではないか、と疑う文章が新聞に載ったことがある(毎日新聞「記者の目」など)。やはり河合門下のエコノミスト、土屋清氏が忽(たちま)ち駁(ばく)した。疑いの主は「自由主義がてんでわかっていない」。
戦後の日本人は皆、「自由」を唱えたが、「自由主義」思想は学ばなかった。正統の自由主義理論は、道徳的、市民的、政治的自由実現のために国家を否定せず立憲君主制も排さない。日本特有の“戦後民主主義”と称する気分の中で自由主義=反国家とか自由主義は共産主義も含むとか、なまくら理解が瀰漫(びまん)し、河合思想の真義も解さぬエセ自由国家を生んだ。
哲学的基礎は異なりながらも、戦前日本の膨張志向に反対し圧迫された剛直の急進的自由主義者、石橋湛山は抵抗した戦中も自由主義者の自分は「国家に対する反逆者ではない」と言い切っていた。昭和28年には保安隊(現自衛隊)には「祖国愛」を持たせよとも説いた。その政策選択全般の基底に愛国心を重視する学者もいる。
≪石橋湛山の皇室崇敬とも共通≫
湛山はまた、自らが育った明治は帝国主義の時代などに非ず、人類史に記念さるべき民主的改革の時代と評価し、明治天皇を「日本人には深き深き追慕の念やみがたき陛下」と仰いだ。そして、戦後日本の指導理念は「五箇条の御誓文」あるのみとし、自己の内閣施政の原点と考えた。湛山の盟友、外交評論家の清沢洌(きよし)も、皇室尊崇の念篤く、独立自尊の気骨と愛国心に富むリベラリストだった。
日本はとうに隣邦の属国だったと政府高官が口走ったような自国の尊厳忘失は、河合ほかの高潔な志と距(へだ)たること天と地だ。
河合と同じ明治24年生まれの政治家、西尾末廣は昭和35年の民社党立党に際し、別の河合門下生、関嘉彦教授に起草を嘱し、河合思想を骨格とする党綱領を掲げた。
旧民社党が合流しているからか「民主党政権になったので河合精神が実現できる」との声を聞く。とんでもない。旧民社党の閣僚は現在1人だけ。民主党に思想的バックボーンは皆無、不純な政客や一部過激分子が議員・党員多数の無思想につけ込んでおり、河合の精神的DNAを体するメンバーの主導性は心許ない。党綱領さえ作れぬ雑居・滅裂集団を、どうして厳格な河合が容認できようか。
「歴史に学ぶ」は日本人の口癖だが、純正自由主義者の思想とスピリットに学び、“亡国政治”の一掃を迫り続けるべきである。(はが やすし)