【皇室ウイークリー】(214) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









雅子さまウイルス感染?で「辛そうなご様子」 

眞子さま、歌会始初披露のお歌は…。





 皇居・宮殿で10日、天皇、皇后両陛下が学問の権威者から説明をお聴きになる「講書始の儀」が行われ、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻、寛仁親王殿下の長女の彬子さま、高円宮妃久子さま、長女の承子さま、次女の典子さまが列席された。

 明治2年に原形となる儀式が始まったとされ、昭和28年からは現在のように人文科学・社会科学・自然科学の3つの分野から説明が行われるようになったという。

 2日後の12日には「歌会始の儀」が宮殿で行われた。開催される日付は毎年異なるものの、新年に行われる一連の宮中行事は、歌会始の終了でようやく一段落つくといわれている。

 昨年成年を迎えた秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまについては、今年初めて出席される新年行事が相次いだ。歌会始には出席しなかったが、歌会始の場でお歌を初めて披露された。

 そのお歌は「人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり」。20歳となった翌月の昨年11月に伊勢神宮を参拝した際、5年前に見た「御木曳(おきひき)」の川曳の光景を思い出し、20年に1度お宮を建て替える、式年遷宮に対する多くの人々の気持ちに思いをはせられたという。

 御木曳は遷宮に伴って必要となるヒノキの用材を内宮、外宮まで運ぶ行事で、内宮用の用材については五十鈴川をソリでさかのぼるため川曳と呼ばれる。眞子さまは秋篠宮さまと一緒に平成18年7月にご覧になったという。

一般からの入選歌の倍率は1883倍。終了後、入選者10人による記者会見では、「夢だった」「光栄」などと感激する声が続出した。

 最年長の茨城大名誉教授、寺門龍一さん(81)によると、陛下は「いわきはどういう状況でしたか」と寺門さんに尋ねられた。かつて校長として勤めていた福島工業高専の卒業生が津波で殉職したため、「心を痛めている」と話すと、皇后さまは「本当にお辛いことでしたね」と話されたという。

 また、海外から唯一の入選となった、カンボジアで活動するNGO「日本地雷処理を支援する会」の渡辺栄樹さん(65)に対し、皇后さまは「雨期になると地雷がたいへんじゃないですか」と尋ねられたという。

 渡辺さんは、現地では円形の地雷が雨によって別の場所に流れ、子供が遊んで事故が起こっていることを明かし、「皇后さまが、対人地雷の特性までご存じだったのでびっくりしました」と述べた。活動に対しては「頑張ってください」との励ましを受けたという。

 宮内庁の小町恭士東宮大夫は13日の定例会見で、皇太子妃雅子さまが体調を崩され、10日に感染性の胃腸炎と診断されたことを明らかにした。感染経路は不明で、ウイルスが原因の可能性が高く、ノロウイルスの疑いもあるとしている。胃腸の不調や、37度台の発熱などの症状があったが、すでにほぼ回復し、食欲も戻られてきている。一時は辛そうなご様子だったという。

皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは10日、学習院初等科の始業式を迎えられた。通学に対する不安は改善し、昨年末は雅子さまのお付き添いなしで通学する頻度が高くなっていたが、この日もお一人で登下校し、式典にも出席されたという。

 寛仁さまは10日、あごに見つかった腫瘍の治療のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で手術を受けられた。執刀医の海老原敏院長は翌11日に宮内庁で記者会見を開き、腫瘍について「がんの再発とみるのが普通」と説明した。

 海老原院長によると、寛仁さまの下咽頭を中心に中咽頭や口腔(こうくう)にがんが広がり、中咽頭と口腔の右半分を切除して欠損部を腹部の皮下脂肪で再建した。転移を防ぐため首の両側のリンパ節も一部切除。術後の経過は順調だが、傷の回復に2、3週間かかり、ご退院の時期は未定という。

 手術は約10時間に及び、医師だけでも、麻酔医2人、形成外科医2人を含む計8人がチームを組んだ。手術の手法によっては、あごの骨を切り取ることも検討されたが、幸い、あごを残したまま患部を切除できたとしている。寛仁さまの顔の表情に影響はなく、飲み込んだり、話したりされる機能も保たれた。回復すれば、公務に臨まれることも可能だという。

 寛仁さまががんに関連した手術や治療を受けられるのは15回目となったが、海老原院長は、今後同じ場所にがんが再発した場合、さらなる手術は難しいという見解も示した。

昭和天皇の命日にあたる7日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で、昭和天皇祭皇霊殿の儀が行われ、両陛下、皇太子さま、眞子さま、常陸宮ご夫妻、彬子さま、高円宮妃久子さまが拝礼された。午後の御神楽の儀には、陛下と皇太子さまが拝礼された。秋篠宮ご夫妻は武蔵野陵(東京都八王子市)で行われた昭和天皇祭山陵に奉幣の儀に臨まれた。

 各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。

 秋篠宮ご夫妻は11日、宮邸で、国立特別支援教育総合研究所理事長から進講を受けられた。13日には、宮邸で、外務省国際法局長から進講を受けられた。

 秋篠宮さまは11日、宮邸で、日本動物園水族館協会会長らと懇談された。13日には都市センターホテル(東京都千代田区)で、生き物文化誌学会理事会、評議員会、賛助会員の集いに臨まれた。

 高円宮妃久子さまは8日、第一生命ホール(東京都中央区)で、高円宮殿下メモリアル第12回日本マスターズオーケストラキャンプに臨席された。9日、国立霞ヶ丘競技場(東京都新宿区)で、第90回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝戦を観戦された。11日、帝国ホテル(東京都千代田区)で、2012年日加協会新年会に臨まれた。



草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員奮励努力セヨ。 

        皇居・宮殿「松の間」で行なわれた「歌会始の儀」=12日午前(代表撮影)



歌会始のお歌。




天皇、皇后両陛下と皇族方のお歌、入選者らの歌は以下の通り(仮名遣い、ルビは原文のまま)。




天皇陛下



津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる





皇后さま



帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず





皇太子さま



朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ





皇太子妃雅子さま



春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く





秋篠宮さま



湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ





秋篠宮妃紀子さま



難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる





秋篠宮家長女眞子さま



人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり





常陸宮さま



海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり





常陸宮妃華子さま



被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす





三笠宮妃百合子さま



今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に





寛仁親王家長女彬子さま



大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか





高円宮妃久子さま



福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中





高円宮家長女承子さま



紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青





高円宮家次女典子さま



対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり





高円宮家三女絢子さま



海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる



【召人】



堤清二さん



雲浮ぶ波音高き岸の辺に菫咲くなり春を迎へて



【選者】



岡井隆さん



いのちありてふたたびドナウ源流の岸べをゆきし旅をしぞ思ふ





篠弘さん



かはらざりし北上川に花びらが岸のほとりの早瀬を走る





三枝昂之さん



なほ朽ちぬこころざしありふるさとの岸辺に灯る甲州百目





永田和宏さん



舫ひ解けて静かに岸を離れゆく舟あり人に恋ひつつあれば





内藤明さん



源は雲立てる山ゆつくりと流るる川の岸辺をあゆむ



【入選者】(年齢順)





茨城県 寺門龍一さん(81)



いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く





埼玉県 佐藤洋子さん(77)



対岸の街の明かりのほの見えて隠岐の入り江の靜かなる夜





奈良県 山崎孝次郎さん(72)



相馬市の海岸近くの避難所に吾子ゐるを知り三日眠れず





長野県 小林勝人さん(71)



ほのぼのと河岸段丘に朝日さしメガソーラーはかがやき始む





大阪府 山地あい子さん(70)



しほとんぼ追うて岸辺をかける子らつういつういと空はさびしい





千葉県 宮野俊洋さん(67)



春浅き海岸に咲く菜の花を介護のバスが一回りせり





カンボジア 渡辺栄樹さん(65)



子らは浴み岸辺に牛が草を食(は)むこぞの我らが地雷処理跡





京都府 大石悦子さん(57)



とび石の亀の甲羅を踏みわたる対岸にながく夫を待たせて





福島県 沢辺裕栄子さん(39)



巻き戻すことのできない現実がずつしり重き海岸通り





大阪府 伊藤可奈さん(17)



岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君がみえない