【消えた偉人・物語】昭憲皇太后
第2期国定修身教科書に、「皇后陛下」という文章が載せられている。ここでいう皇后陛下とは明治天皇の皇后、昭憲皇太后(1850~1914年)のこと。書き出しはこうである。
「皇后陛下は教育の事に深く御心を用ひさせ給ひ、さきに東京女子師範学校に みがかずば玉も鏡もなにかせん まなびの道もかくこそありけれ といふ御歌を賜ひ、又華族女学校を建てさせ給ひて『金剛石』『水は器』の御歌を賜へり」
東京女子師範学校が設立されたのが、明治8(1875)年。下賜された「みがかずば…」の御歌は同校の校歌に採用され、現在(お茶の水女子大学)も歌い継がれている。「金剛石」や「水は器」の歌詞内容からわかるように、皇太后は教育において特に道徳教育に専心された。皇太后の内意を受けて『明治孝節録』(福羽美静編、明治10年)、『婦女鑑』(西村茂樹編、同20年)という修身教科書がそれぞれ宮内省から出されているが、これは外国の翻訳教科書が多かった当時のことを考えると、わが国道徳教育史上重要な意義があるといえよう。
また、「皇后陛下は…赤十字社事業の発達を思召(おぼしめ)さるること深くして、日本赤十字社総会に常に行啓あらせらる」と記されているように、皇太后は社会福祉事業の推進にも尽力なされた。明治24(1891)年に、皇太后のご支援で日赤(現在の日赤医療センター)の病院が開院された。そして同45(1912)年、「平時でも人類の幸福と平和をはかることこそ赤十字の本旨」との思し召しにより万国赤十字連合に寄付をされているが、赤十字の事業として戦時だけでなく平時の人道的な事業を奨励することは、当時、国際的には画期的なことであった。このお金は「昭憲皇太后基金」として、今も人道支援活動の拡充などの事業費にあてられ、世界の多くの地域を援助し続けている。
「皇后はじつに慈愛と権威とを有する天使である」。イギリス公使マクドナルドが皇太后に拝謁するたびに言ったこの言葉は、皇太后の真実の姿を伝えて余すところがないのである。
(皇學館大学准教授・渡邊毅)
昭憲皇太后さまの御製の御歌。明治11(1878)年10月にお茶の水女子大学の校歌
とされ、現在も校歌として歌い継がれている(お茶の水女子大学所蔵)