食べログに文句付ける奴はボコボコにされるぞ! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







yohkan様のブログ・愛国画報FromLA より。




今ではお祭りの時くらいしか見掛けなくなったが、昔はどこにでも露天商がいた。バナナの叩き売りはじめ、独特の抑揚で歌うように売るオジサンたちは人気者だった。今日はこの街ににいても明日はどこかに旅立つ。まさに一期一会だ。名調子の露天商がいると、大人も子供も取り合えず立ち止まったものだ。


適当な人数の群集が周りを囲むと、オジサンは台湾 バナナ の大きな房を高々と差し上げて、さあ、500円!などと叫ぶ。今の500円とは価値が違う。のけぞるような高額で先ずジャブを放ったのだ。で、誰も買う気がないのを確かめてから、何でえ、今日は貧乏人の集まりか、と大きな声で独り言を聞かせる。


仕方ねえなあ、と頭を振ったオジサンはいきなり、300円!と大幅ディスカウントを宣言する。おお、この親父売る気満々だな、と群集が身を乗り出す。当然ながら、このあと250円になり200円になり、適当なプライスに落ち着くが、実はどこで買っていいかよく分からない。つい、じっと見守るだけになってしまう。


ところが、そこに販売支援のプロが登場する。頃合を見て「買ったあ!」と声をかけるサクラ だ。実際、このひと言が消費者の購買意欲に火をつける。あちらからこちらから釣られて買う消費者が現れる。気がつけば、われもわれもと競争状態になる。バナナ は飛ぶように売れる。露天ビジネスのクライマックスと云っていい。


これが万年筆の露天商になると演技が細かくなる。オジサンは先ず、如何に不幸な境遇で商売が潰れたかを語り、手元に残ったのは万年筆が数ダースのみ、さあ、この先どうやって生きていけばと泣き顔になる。取り合えずこれを売らないと、家にはお腹を空かした乳飲み子が、と哀れな話で涙を誘う。


見知らぬオジサンが道端で万年筆を並べて泣くのは、どう考えてもヘンなのだが、誰もが可哀想だと思う。信じられないだろうが、昔の人間は優しかったから可哀想だと思った。ところが、じゃ買うのかと云えば誰も買わない。つい立ちすくんでしまう。そこでサクラの登場だ。


サクラ は大抵「おっ!」と驚いた様子を見せる。ななな何だ何だ、と万年筆を手に取ってさらに驚く。「おいおい、舶来モンじゃねえか」と腰をに抜かし、「パーカーじゃねえか」とブランド名まで叫ぶ。ほぼ100%偽ブランドだが云ったもん勝ちだ。で、よしっと数本纏めて大人買いをする。これが群集の購買意欲に火をつける。われもわれもと手が伸び、気がつけば露天ビジネスのクライマックスに至る。


さて「食べログ」のやらせ 問題が報じられた。アメリカ にも似たようなグルメ店紹介の人気ブログがあって、同じような噂がある。でも一体、何が問題なのだ。





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店側は何となく眺めている消費者を刺激して訪問意欲を掻き立てなきゃいけない。だからこそ、販売促進のプロが登場する。「買ったあ」と声もかけなきゃ「舶来じゃないか」と仰天もしないが、クリックしたり評価をコメントしたり。サクラの真骨頂だ。


サクラ を「やらせ 」と呼んで非難するのは愚の骨頂だ。サクラ だって、立派なマーケティング施策だと受け止めるのが大人ってものだ。仮にサクラ のせいで、つまらないモノ を買ったり、不味いレストランに行っても仕方がない。無闇に情報を信じるほうが馬鹿なのだ。消費者の自己責任だ。店やサクラ に文句云っちゃいけない。


昔も露天商のサクラに文句をつける間抜けがいたらしい。何だ、てめえ、グルじゃねえか。客の真似しやがって、コノヤロー、みたいな話だ。そういう野暮を云う人間はどうなったか。ふつうはちょっと怖いオニイサンたちに路地裏に連れていかれて、ボコボコにされた。世の中はそういうものなのだ。