【正論】日本再生の念頭に 立命館大学教授・加地伸行
■故きを温め宮家問題の妙策知る
謹賀新年。
近ごろ皇室をめぐってさまざまな意見が登場している。その根底にあるものは皇統に対する不安感であろう。そのため、議論がともすれば過激になったり、反対するためだけの意見となったりして、いわば膠着(こうちゃく)状態となっている。
このようなときは、冷静になることが必要であろう。のみならず、先人の考えを顧みるのがよいのではなかろうか。「故(ふる)きを温めて新しきを知る」(『論語』為政篇)と言うではないか。
≪江戸時代の儒者、中井竹山≫
そこで、江戸時代の儒者、中井竹山の意見を紹介したい。その意味で、今回の拙稿は〈論〉抜きにして、一つの材料提供とする。
周知のように、江戸時代、皇統への危機感から、新井白石の献策に依って、閑院宮家の創立(1710年)があった。皇統が断絶しないようにするためである。
しかし、この創立によって皇統問題がすべて解決されたわけではなく、依然として問題を引きずっていたのである。と言うのは、新設をも含め、諸宮家自身において継嗣者がないということが起りえたし、事実、そういうことが起っていたのである。
閑院宮家創立から約80年後の天明8年(1788年)1月、京都に大火があり焼亡した皇居造営の責任者となった老中、松平定信は上洛し畿内を巡視した。そして大阪において中井竹山を引見し、諸問題について下問した。
定信は寛政の改革を行った政治家(首相格)であり、竹山は大阪の有力漢学塾であった懐徳堂の学主(学長)であった。
定信の下問を受けて、竹山は答申したが、そのときの意見を元にして『草茅危言(そうぼうきげん)』という著述を刊行した。その序文に寛政元年(1789年)とある。因みに、この年は、フランス革命が起り、アメリカではワシントンが初代大統領に就任している。
≪宮家に家族関係上の格差≫
「草茅」とは茅葺(かやぶき)の粗末な家すなわち民間人、「危言」とは磨いたことばすなわち正しい主張(『論語』憲問篇)といった意味である。
この本の意見は多岐にわたっているが、「皇子皇女之事」という章がある。それに依れば、当時四親王家(四宮家)があったが、一宮家は「無主」となっていた。竹山は危機感を抱き、庶民と異なり「尊貴ノ御身(おんみ)ニハ子育(こそだて)ノ広カラヌコト多キモノ也(なり)」、将来、四宮家ともに継嗣者がなくなる可能性があると憂えている。「四宮(よんみや)モ打揃(うちそろ)ヒ生育ノ乏(とぼし)キ御事(おんこと)アラセラレマジキニモ非(あら)ズ」と。
竹山は「継統ノ御備(おんそな)ヘ天下ニ於(おい)て最(もっとも)第一ノ切要」と述べ、その具体案を次のように示している。
男子が生れ成人すると、すべて親王とし新宮家を立て、給付額を千石(ごく)とする。二代目になると八百石、三代目になると姓を賜わり臣籍に入り六百石。四代目は四百石。五代目は二百石とするが、以後も額はそのままで続く。
五代目からの扱いがそうなるのは、実は儒教思想に基づいている。祖先を祭るとき、亡き父母・祖父母・曾祖父母・高祖父母と四代前までは個別にその人の命日に祭るが、高祖父母の父母すなわち五代前となった人は、始祖の中に入れて合祀し、個別的には祭祀しない。そこで五代前の人とは「親尽(しんつ)く」となる。
そのことを念頭に、竹山は、遠縁とはなるが親族として固定する意識で二百石のまま減らすことなく永久にとするわけである。
そしてこう論じる。石高(こくだか)は世代変化によって減るので、宮家が増えたとしても、皇族合体でせいぜい七、八千石内で収まる、と。
≪養子を認めて皇族を増やす≫
今日、一部メディアは、宮家を増やすと経費が増大して問題になると言っている。しかし、儒教的家族思想から言えば、血縁に差を設けるのは不自然でなく、経費が一方的に増えるわけではない。竹山はすでにこう言っている。宮家を増やすと経費が「夥(おびただ)シキ事ニナルベキナドト出納有司(すいとうのゆうし)(今で言えば財務官僚)ノ論」があるだろうが、大丈夫だし、皇族が増えるのは慶事であり、「ソノ処置ハイカヤウニモ有(ある)ベキモノナリ」と。
そのようにして皇族が新しく増えるためにも、養子を認める。ただし「養子継続ノ事ハ互ニ新旧皇族ノ内ニ限リ他族ニハ制禁アルベシ」と主張する。
すなわち、皇族以外、一般人の養子は認めない。その場合、宮家に女性当主がいなくてもかまわないということにもなる。宮家という組織の継続が第一で、まず男性当主を養子に決めた後、その配偶者を自由に求めることになろう。
以上が竹山の案の大筋。とすると、仮りに宮家は宮家でも女性宮家を立てるとしても、四代までとならば、皇族系配偶者候補は相当数となるであろう。
竹山のような江戸時代の人の皇室に対する意識や感覚は、日本人において古くからそれまで続いてきていたものではあるまいか。
(かじ のぶゆき)