【新春・安藤慶太が斬る】(中)
昨年の暮れ、押し詰まって飛び込んできた金正日死亡の報をきっかけに改めて北朝鮮という独裁国家の歪さを再認識した人は多いのではないか。連日流れてくる北朝鮮のテレビメディアの仰々しさ、物々しさといったら、鬱陶しいことこのうえない。金日成、金正日ときて正恩氏。これで三代世襲だ。これではもはや王朝である。
国民が満足に食糧にありつけるだけの国力はないのに、瀬戸際外交で周辺国を翻弄する。そのために核だけは手放さない。軍事が何ごとにも優先し、言論統制、思想統制が敷かれ、独裁者に刃向かう政治勢力もない。
しかし、こういう体制が29歳の三代目と集団指導体制でどこまで維持できるのだろう。朝鮮総連内部にだって正恩氏の指導者就任に複雑な思いが渦巻いているそうで、封建社会同様の3代世襲には違和感を感じる人が少なくないという。そりゃそうだろう。総連は正恩氏登場後も沈黙を守っていた。「金正恩大将の領導に服従しよう」と支持を打ち出したのは昨年夏だったというから、総連自身が違和感を持っていたことになろう。
気をつけなければならないのは1994年、金日成死亡のさいの失敗を私たちが繰り返さないことである。北朝鮮に国際社会は変化を期待したが、金正日氏の下でより過酷な独裁体制が敷かれた。北朝鮮は崩壊もしなかったし、変化もせず、もっと酷くなったのである。
これは崩壊など「急変」を恐れた国際社会がこぞって北朝鮮を支援したためだ。米国も日本も韓国も、食糧・エネルギーなどの支援で突っ走っていった。これで権力過渡期の不安定を支援と支持で乗り切った北朝鮮は、より閉鎖的な軍事独裁体制と核兵器開発に着手した。要は日本も米国も韓国もだまされたということである。今度は同じ轍を踏むわけにはいかない。北朝鮮が生まれ変わらない限り、一粒たりともコメもエネルギーも渡さない。温情は禁物である。人道上の配慮をいうなら、拉致被害者を全員我が国に引き渡す人道的判断を示すことが先決である。そのくらいの覚悟が必要なのである。
あれは北朝鮮の学校
同じく、一昨年から続いてきた高校無償化の適用対象に朝鮮学校を含めるかどうかという問題も今述べた北朝鮮支援の危険性と地続きの問題点をはらんでいる。これまで何度も書いてきたが、朝鮮学校というのは誰がどう見ても、あの独裁国家の体制を支えるための教育機関であって、北朝鮮や朝鮮総連と一体化している。北朝鮮国家機関の一部なのである。
法的には日本の各種学校という範疇に位置づけられ、日本のプライベートスクールにあたる学校法人格をもっている。このこと自体がいびつな話である。日本の学校でないにもかかわらず、日本の学校としての地位を持っていることから、さまざまな齟齬が生じるのだ。
あくまで朝鮮学校を日本の学校というのであれば、日本の教育法令は守ってくれなければ困る。とりわけ教育基本法に定めてある教育の目的、日本国を愛する態度を養うのは朝鮮学校にとっても義務である。少なくともまず日本を敵視するよう生徒を導く教育内容など言語道断、とんでもない話だ。即刻、正してほしい点である。
特定の政党に偏した政治教育、思想教育なども厳に慎むべきだ。朝鮮総連は学校から見ればあくまで外部機関である。その外部勢力から朝鮮学校は教育内容や人事、財政、学校運営に至るまで大きな影響を受けている。これも教育基本法に照らして重大な問題だ。学校は(たとえ各種学校であろうと)あくまで学校であって、謀略機関、工作機関が牛耳る学校なんてあり得ない話だ。
高校無償化の適用対象とするかどうか。公金を出すか否かという問題は、まず彼らが、こうした前提をクリアにしたうえで初めて議論の土俵にあげるべき話である。日本の教育法令を守れないのに、補助金は出してくれ、では全く筋が通らない。
在日や朝鮮の方々の誤信
在日の方々はもちろん、朝鮮の方々も、日本人のなかにも結構勘違いしているなと感じるのは、補助金を出すことが朝鮮学校に資すると決めつけた発想である。これはしっかり考えた方がいい、と思う。補助金を出すことは朝鮮学校にとっていいことだとは私には思えないからだ。
それはさきほどから述べているように朝鮮学校が北朝鮮の学校という看板を堂々と掲げているからだ。朝鮮学校は実態としても完全に北朝鮮の学校であろう。ならば、それは北朝鮮政府、在日の英知、資金、誇りと情熱をかけて自分たちが立派だと思える学校を自分たちの手で築きあげればいい。それが本来のあるべき姿なのだ。日本の学校である「各種学校」「私立学校」などという地位を与えるべきではないし、また彼らもそうした地位を捨て去るべきなのだ、と思う。
北朝鮮は日本の植民地でも属国でもない。従って日本の税金をあてにする方がおかしいのである。ところが、彼らの多くはそうではない。あてにしてはばからないのである。それどころか、日本の税金を出すのが当然だと考えている。心構えからして間違っているといわざるをえない。そんな根性で、まず、まともな民族教育などできるわけがないのではないか。
瀬戸際外交って所詮はゴネ得じゃないか
北朝鮮の外交を評して瀬戸際外交という言葉がある。核のカードを最大限に使って交渉相手を威嚇し、揺さぶり、翻弄したあげく、ついには自らの要求を通していく土俵際での外交術、とりわけ外国の援助を引き出す術に長けた北朝鮮の外交手腕や、北朝鮮の周到さを評する言葉である。だが、瀬戸際外交などというと、凄い力量ある外交のような印象を醸し出すのだが、これだって、所詮実態はゴネ得に過ぎない。外交術としても邪道の部類で、ほめられる話では決してない。瀬戸際から国家が抜け出すには、自らの手で国力そのものをあげていく以外にない。そういう肝心な点を北朝鮮本国は忘れていないか。核を頼りに外国の力を如何に引っ張り出すかに血道を上げる。これはまともな国家のやることではない。国民の食糧確保という国家の基本的な使命すらままならず、ゴネ得外交で支えられているのであれば、これではいつまで経ってもまともな国家建設など出来るわけがない。
朝鮮学校の関係者が無償化について「適用は当然だ」という時に感じる疑念と本国の瀬戸際外交に感じる疑念は全く同根である。それは自分たちの民族教育にせよ、国づくりにせよ、どうして自分たちで築こうとせずに、よその国の税金や援助をあてにするのだろうという根本的懐疑である。
日本の考えも変だ
ただし、である。おかしいのは朝鮮学校関係者と北朝鮮本国だけではない。日本もおかしいのである。特に日本の税金を注ぎ込むことが、彼らのためになると思いこんでいる日本人は多い。私はこの発想もおかしいと思う。それは拝金的な夜郎自大だろう。彼らの力になるなどと考えるのは傲慢極まる勘違いである。資金がなくとも学校が貧しくとも、心の通ったいい教育というのは可能なはずで、日本の税金を出すのを当然と考える朝鮮側もおかしければ、そうした要求を「ごもっとも」と受け止めている日本人も変なのである。 一昨年から続いてきた無償化問題は今年、いよいよ決着が図られるだろうが、これはわが国の国家としての基本問題である。感傷的な判断は許されない。将来に禍根を残さない判断が不可欠で国際社会からも後ろ指を指されることがないよう正しい判断を期待している。
(安藤慶太 社会部編集委員)