犬HKは偏った放送をやめろ! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






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Nスペ日本人の戦争の証言者選出の偏向と誘導尋問・便衣兵やゲリラの掃蕩戦を悪事と印象付ける偏向番組・2011年12月3日【NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】






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2011年12月3日【NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】


2011年12月3日(土) 午後9時00分~10時13分放送の【NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】を見た。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111203.html


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太平洋戦争開戦から70年。戦争証言プロジェクトでは、戦争体験者の証言を4年にわたり収集してきた。その数は、元将兵や市民を合わせ、800人以上にのぼる。証言の大半を占めるのは、無惨で生々しい「死」の記憶である。日中戦争から太平洋戦争に至る“昭和の戦争”の死者は、日本人だけで310万人。この夥しい死は、単に軍部の誤った戦争指導によってのみ、もたらされたのではない。“昭和の戦争”は国民の圧倒的支持を受けて始まった。その中で、日本各地の村々から大量の兵士たちが戦場に送り込まれていったのである。近年、こうした総力戦の実態を示す資料の発掘が各地で進められている。長野県の村に残る、戦死者の村葬の詳細な記録。そこには戦死者を“英霊”として称え、遺族に対して手厚い援助を行い続けた村の姿がある。そこから浮かび上がるのは、兵士の「潔い死」を美徳とする「故郷」の姿である。第1回は、常時数十万を超える大量の兵力が動員された“大陸”を舞台に、戦場と銃後が一体となって推し進めた“昭和の戦争”の実像を証言で記録する。

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NHKは2009年に放送した「NHKスペシャル」シリーズ 「JAPANデビュー」に関して、日本と台湾の両国の視聴者や番組出演者約1万300人(台湾人約150人)により集団訴訟を起されている。







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その後、NHKは、先の戦争に関するする番組を制作する際には、元日本軍将兵の座談会やインタビューでの発言を中心に制作する手法を取っている。

元日本軍将兵の発言を放送しておけば、発言内容が虚偽でも法螺でも歪曲でも偏向でも、NHKが視聴者や出演者から訴えられる心配がないからだろう。

しかし、NHKの戦争証言プロジェクトが「戦争体験者の証言を4年にわたり収集し、その数は、元将兵や市民を合わせ、800人以上にのぼる」と豪語している割には、実際にテレビ番組で放送している証言は反日NHKにとって都合の良い少数の証言者の一部の発言に偏っている。

2011年12月3日(土) 放送の【NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】もNHKお気に入りの少数の証言者の一部の証言を切り取って、NHKが描いたシナリオ通りにまとめた番組だった。

具体的に説明していこう。


■放送開始24分過ぎ■
NHKは毛沢東率いる「八路軍」について次のように説明する。


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ナレーション
「多くの農民を民兵として戦闘に加え、戦力の勝る日本軍に対抗しました」


そして、映像でも女が銃を持って井戸か塹壕の中に潜伏する様子などを映している。


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その後、元日本兵の証言。

独立混成第4旅団 中村正八さん(92歳)
「ふだん百姓の風して畑をやっている。それが急に鉄砲に変わるわけや。くわと鉄砲を両方持っている。鉄砲を地面に埋めておいて一生懸命やっている。『これはやったるか』と思ったらすぐに鉄砲を掘り出す」


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ナレーション
「誰が八路軍で誰が住民か見分けのつかない戦場」



ここまでは良い!

支那軍、特に八路軍が女子供も含めて卑怯な便衣兵(ゲリラ)戦法をしていたことを紹介したのだから、NHKにしては大変立派だ。


しかし、ここからNHKによる偏向放送が始まる!


■26分過ぎ■
ナレーション
「これは八路軍のゲリラ戦に苦しんでいた山西省の部隊が下した命令書です。」


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その後、『燼滅』の文字のアップ映像

ナレーション
「適性ありと認めた場合、その集落の焼却や住民の一部の殺害もやむをえないと記されています。」


その後『殺戮』の文字のアップ映像


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さらに、おどろおどろしいBGMが流れる中、
ナレーション
「占領地の兵士たちに命じられたのは、民衆と一体となった八路軍に対する徹底した討伐でした」


その後、八路軍討伐のために住民も巻き添えになって犠牲になったことを元日本軍兵士が証言。

インタビューの聞き手(NHK)は、「巻き添えにしちゃマズイとは思いませんでしたか?」などと誘導尋問。

最後はなんとなく「戦争だからきれいなことは言っていられない」「命令だから仕方ない」「教えられたとおりに行動した」「戦争だからしょうがない」「だけど情けなかった」などと発言させ、結局は日本軍が加害者で支那住民が被害者という結論にまとめてしまう。

しかし、この場合、悪いのは住民に化けて戦闘をした卑怯な八路軍であって、日本軍ではない。

NHKは、八路軍のゲリラ戦法を何ら批判することなく、「加害者=日本軍、被害者=支那住民」という印象が残るように狡猾な印象操作を行った。





■30分過ぎ■
また、元日本軍兵士は、初年兵の時に捕虜を相手に銃剣による刺殺訓練をさせられたという証言をした。



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元日本兵
「助教が『突け』と号令すると走って行って突き刺す」



ただ、日本軍将兵の場合には、便衣兵(ゲリラ)や敗残兵などのことも「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいたので、この場合にはもともと処分すべき便衣兵(ゲリラ)や敗残兵を刺殺させた可能性が高い。


これとソックリの話は、2011年6月2日放送のテレビ朝日「報道ステーション」【戦争の話を聞かせてください】で紹介されていた。

その時、私は、このブログで詳しく説明したので再掲しよう。
━━━━━━━━━━
報ステで捕虜殺害の証言を放送
真実は便衣兵の処刑、テレビ朝日に抗議文!
【戦争の話を聞かせてください】登場の黒田千代吉は半年前「便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言
テロ朝は日本軍が捕まえた敵兵を「捕虜」と呼んだ事を悪用
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4266.html
(一部抜粋)
(前略)

――――――――
黒田さんは、終戦の約1年前に召集され、初年兵として支那大陸へ。
その後、武漢辺りから南へと向かった。

(略)

ある日、古年兵が捕虜を、私たちが藁で訓練している所に連れて来た。

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それで、藁じゃなくて、そこに捕虜を立たせて、その捕虜を突けと言ってきた。

「お前たちの度胸試しだ!」と言ってきた。

「今日は本物の敵を突くんだから、我と思う者は出て来い!」と言うわけだ。

生きている目隠しの捕虜を殺すのは嫌だって言って、皆尻込みをして出て行かなかった。

そしたら、「お前たちは上官の命令に抗するならばすぐ銃殺だ。」と言うわけだ。


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そんで、これからね、「名前を呼ばれた者は出て来い!」と言われ、私が一番先に「黒田ー!!」と呼ばれた。

「黒田、一番先にあの捕虜を突け!」と言った。

上官の命令で他の18人の兵士たちも、次々とその捕虜を刺し、中国人の捕虜は息絶えた。


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終戦の僅か1か月前の事だった。

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涙ぐむ孫の泰子さん

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「命令だ」と言うので「人を突け」と言われて突いた。
本当に今考えると、悪いことをして帰って来た。
本当に済まないな。


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中国の方々に
大きい声で謝らなくちゃならない気持ちが今ございます。
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その後、スタジオの様子

古館伊知郎
大本営は随分最前線を騙したり斬った部分がありますよね


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・・・・・
(略)
――――――――

以上が番組の概要だ。



しかし、この話は真実を正確に伝えていない。

この黒田千代吉は、半年前(2010年12月)に異なる証言をしている。

2010年12月、黒田千代吉は「刺突訓練を行っていた時に、戦闘で捕えた一名の便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言していたのだ。

その証言内容は、次のブログで報告されている。


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NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
http://blog.bridgeforpeace.jp/?eid=1489421
元日本兵取材報告:黒田千代吉さん(86歳)
2010.12.26 Sunday

(一部抜粋)

○昭和二十年四月二十四日、衡陽を出発。行軍のあまりの辛さに手榴弾や小銃を使って自決するものがでた。またマラリヤなどの病気にかかって亡くなる者もいた。

便衣兵に兵隊が拉致されることもあった。拉致されると尋問を受けた後に殺される。

○昭和二十年五月十日ごろ、曲江(現広東省韶関市)に到着。

○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。秋水591大隊本隊に合流。長い行軍が終わる。当初千二百名いた初年兵が、四百人に減っていた。ここで休養した後、戦闘訓練を行う。刺突訓練などをやっていた。

ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。

○昭和二十年七月十六日、転進命令が出てカン州を出発。また行軍。

○昭和二十年八月十九日ごろ、劉家(江西省南昌市あたり)で終戦を知る。
○昭和二十年九月、安徽省安慶に移動。ここで武装解除。収容所に入れられ捕虜生活が始まる。

>○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。
>・・・
>ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。



このように、半年前(2010年12月)、黒田千代吉は、刺突訓練を行っていた時に銃剣でついて殺したのは戦闘で捕えた一名の便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)だったと証言していたのだ。

捕虜ではない。

収容所に収容していた正式な「捕虜」であれば保護することが国際法で義務付けられているが、便衣兵は捕まえたその場で殺しても合法だ


古年兵が、初年兵の訓練のために便衣兵を銃剣で突かせても、違法ではない。

戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。

便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。

ちなみに、この爺さんが9年前に書いた『最後の初年兵―3千キロ死の行軍』黒田千代吉著(2002/4/1)にも、夜に用便のため少し離れた戦友(梯団の仲間)が敵の便衣兵(便衣隊)拉致された話が述べらている。










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日本兵が用足し中に敵の便衣兵(便衣隊)に拉致されたりすることは良くあったとのことだ。


では、どうして黒田千代吉は「報ステ」で「捕虜」と発言していたのだろうか?

これには大きく次の3つの可能性が考えられる。
―――――――
1.
黒田千代吉が、自分を含めた「日本軍」を悪者に仕立てようと悪意を持って偽証した。

2.
昔の日本兵は捕まえた敵の便衣兵なども、正確には「捕虜」ではないのに、「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいた事実がある。
黒田千代吉もやはり「捕まえた便衣兵」を「捕虜」と表現してしまい、番組制作会社がその事実を隠したまま如何にも日本軍が悪かったように番組を制作した。

3.
正確には「捕まえた便衣兵」なのに、黒田千代吉が不正確な「捕虜」という表現を使って証言してしまい、無知な番組制作会社がその事を知らずに、そのまま日本軍を悪者として放送した。
―――――――


私は、2の可能性が極めて高いと考えている。

昔の日本兵は、捕まえた敵の投降兵や敗残兵や便衣兵などのことも、全て「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいた。

それを良いことに反日左翼が、日本軍による敵兵殺害や敵便衣兵殺害のことを「捕虜殺害」と非難することは、よくある手口だ。

また、便衣兵の処分に関しても知識がない初年兵の黒田千代吉は、便衣兵を見つけたら殺すべきなのに、「いくら何でも捕まえて目隠ししている者を殺すのは悪いことだ」と間違った思い込みを続けているものと考えられる。

(中略)

尚、日本軍将兵が、捕まえた敵の投降兵や敗残兵や便衣兵などのことも、全て「捕虜」や「俘虜」と呼んでいたことに関しては
過去記事 で詳しく説明しているが、簡単な事例を紹介しておこう。

歩兵第三十三連隊を統括した第三十旅団長佐々木到一少将が日記を元に書き起こした佐々木私記には、次の記述がある。
―――――――
午後二時頃概して掃蕩を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進和平門に至る。その後俘虜続々投降し来り数千に達す、激昂する兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
―――――――


既に俘虜(捕虜)となっているのであれば投降するはずがない。。
まだ俘虜(捕虜)ではない敗残兵だから、「投降し来り」となる。
ここでは、敗残兵が「俘虜」(捕虜)と表現されている。


ということで、私は、テレビ朝日に抗議文を郵送することにした。
(以下省略)
━━━━━━━━━━



上記が、2011年6月2日放送のテレビ朝日「報道ステーション」【戦争の話を聞かせてください】の内容と、それに対する私の反論の一部だ。

今回12月3日放送の「NHKスペシャル」【証言記録 日本人の戦争 第1回 アジア 民衆に包囲された戦場】の内容も、上記テロ朝の「報ステ」とそっくりの内容だった。

悪いのは、卑怯な便衣兵戦法(ゲリラ戦法)を行っていた支那軍なのに、お人好しの日本軍兵士に証言させて謝罪させ、結局日本軍が悪かったような印象を視聴者に与えている。

何故か、テロ朝の「報ステ」も、NHKの「Nスペ」も、卑怯な便衣兵戦法(ゲリラ戦法)を行っていた支那軍のことを全く批判しない。





話を12月3日放送の「NHKスペシャル」の内容に戻そう。

■34分過ぎ■
その後、NHKは、略奪や強姦があったという事実や証言を紹介。

日本軍の中にも、略奪や強姦をする者は居た。

ただ、日本軍による略奪や強姦は、他の軍隊と比べて極端に少なく、世界でも稀な模範的軍隊だった。

ここでも、NHKの戦争証言プロジェクトは、「戦争体験者の証言を4年にわたり収集し、その数は、元将兵や市民を合わせ、800人以上にのぼる」中から反日NHKにとって都合の良い証言だけを抜き取って放送に使っていることが良くわかる。

なお、略奪事件と強姦事件については4年間800人以上にのぼる証言者のうち僅か数人から証言を得ることが出来たNHKだが、残念ながら殺人事件については全く証言を得ることが出来なかったらしい。

残念でしたね。
NHKさん♪





■59分過ぎ■
その後、番組の内容は、支那事変から大東亜戦争に移行していった。

そこでフィリピンでの戦闘に参加した元日本軍兵士の証言を紹介したが、そこでも支那での便衣兵戦法(ゲリラ戦法)と同じく、女子供も含めたゲリラ戦法を展開した抗日ゲリラを掃蕩した日本軍が加害者でフィリピン住民が被害者という印象を視聴者に与える構成になっていた。


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ナレーション
「現地の指揮官は、このままでアメリカと戦う前に全滅するとして、こう命令を下します」
「住民にしてゲリラに協力する者はゲリラとみなし粛清せよ」


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歩兵第17連隊 鷹田源一郎さん(88歳)
「ゲリラの部落だから、男でも女子でも子どもでも みな殺せ。そういう指示を受けたことがあって…」


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秋田県・歩兵第17連隊 荻原金四郎さん(86歳)
「集結させる中隊と虐殺する中隊に命令で分けられていた」
「現在の私の家庭を思えば人間としてするべきことじゃない」
「今思えばフィリピンの住民に申し訳ない」



この荻原金四郎という人は、ゲリラ掃蕩作戦における処刑を「虐殺」と表現しているが、ゲリラの処刑は上述したとおり合法であり、決して虐殺などではない。

NHKの戦争証言プロジェクトは、4年間で800人以上の旧日本軍将兵から証言を集めたが、実際に放送するのは、荻原金四郎のような「ゲリラの処刑」を「虐殺」と表現し、ゲリラに対して「今思えば申し訳ない」と発言するお人好しというか
偽善者ばかりだ。







ちなみに、私は、12月3日の午後、渋谷のNHKに行って抗議行動に参加した。

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竹島問題を蔑ろにする韓流ごり押し、特に紅白歌合戦での韓国人(K-POP)3グループ出場などに抗議することが主な趣旨だったが、NHKスタジオパーク前では、2009年の「NHKスペシャル」シリーズ 「JAPANデビュー」に1万人以上が数段訴訟したチラシなどが配られていた。

その日の夜に、こういう狡猾な反日偏向番組を見せらてしまい、実に残念だ。





「NHKは偏った放送をやめろ!」