【風の間に間に】論説委員・皿木喜久
手元に「ローマの休日」の古いシナリオ本がある。南雲堂から発行されたシナリオシリーズの一冊で、英文と同社編集部による日本語訳の全文が掲載されている。
1953年製作の米映画「ローマの休日」は、今でも日本でアンケートをとれば、ベスト10に顔を出すこと間違いない名画中の名画だ。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が、某国からイタリアを訪問中、公式行事に辟易(へきえき)してローマの町へ抜け出す。そこでグレゴリー・ペックの新聞記者と出会い、2人で1日だけの休日を楽しむ。
ウィリアム・ワイラー監督の巧みな演出とヘプバーンの魅力に世界中の映画ファンが酔った。「大人の童話」という評価もある。だが改めてシナリオを読むと、単なる「童話」ではないことがわかる。
彼女が王女であることを見破り、「世紀のスクープ」にしたい記者は見破られていることに気づかない王女からホンネを引き出そうと、カマをかける。例えば彼女の父親(実は国王)は何の仕事をしているのかと尋ねる。王女が答える。
「大抵はーいわゆる渉外係よ」
「そいつは大変な仕事だ」
「ええ、私ならやりたくないわ」
「お父さんは?」
「文句をいっているのを聞いたことがあるわ」
「どうしてやめないんだい」
「そっちの方の仕事をしている人はほとんど辞職することはないのよ。身体(からだ)が悪くてどうしても続けられないという時のほかはね」
よどみない会話の中に「国王」という「職業」の厳しさや孤独さがちりばめられている。だからどうしても入院中の天皇陛下のお仕事について考えてしまう。
現在、皇太子さまや秋篠宮さまが代わりを務めておられるが、あくまで陛下のご病気に伴う臨時の措置である。国事行為や宮中祭祀(さいし)は基本的には陛下にしかできない。
体調がすぐれず、われわれ一般国民であれば「文句」のひとつ言いたいときもあるかもしれない。それでも陛下は大震災の被災地の見舞いなど、淡々とそして黙々と仕事をこなしてこられたのである。「公人」の精神に徹しておられるのだ。
今回のご入院に際し、宮内庁はこれまでの疲労の蓄積もあげていた。それなら宮内庁も国民も、陛下のお仕事の厳しさや孤独さにもっともっと思いをいたすべきだろう。
話を映画の方に戻すと、「ローマの休日」は、思わぬ展開を示す。2人が恋に落ちるのである。
だが王女は意を決してその思いをたち切り、宿舎の大使館に帰る。映画のクライマックスで、泣かせどころだ。だがもっと泣かせるのはこの後である。大使が「王女としての義務」をタテに「空白の1日」の説明を求めるのに対し、こう答える。
「閣下はその言葉を二度とお使いになる必要はないと思います。私が王家と国とに対する義務を全然自覚していなかったならば、私は今夜、戻っては来なかったでしょう。二度と帰っては来なかったでしょう」
丸24時間だけの「私」を満喫した後に生まれたみごとなまでの「公」の自覚である。
宮中晩餐(ばんさん)会より個人のパーティーが大事と言って恥じない防衛相、国益や公益そっちのけの政治家をはじめ、「公」に徹しなければならないすべての人に、かみしめてもらいたい言葉である。
(論説委員)