【消えた偉人・物語】貝原益軒
「予(あらかじめす)とは、かねてよりといふ意(こころ)。小児の、いまだ悪にうつらざる先に、かねて、はやくをしゆるを云(いう)。はやくをしえずして、あしき事にそ(染)みならひて後は、をしえても、善にうつらず。いましめても、悪をやめがたし」
これは、江戸時代の儒学者・貝原益軒(1630~1714年)の教育書『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』の一節である。
子供が生まれて悪に移ってしまう前に、子供に善悪を教えなければならない。この「予(あらかじめ)する」という言葉には、益軒の教育論の本質が集約されている。
また益軒は、人間の在り方や行動は、先天的な「天性」に基づくよりも、その後の習慣に基づくものが多い、と付け加える。そのため益軒は、子供の年齢に応じた教育内容と方法を具体的に提示する一方、子供のわがままな要求を容易に受け入れる「姑息(こそく)の愛」を退け、正しい善悪の基準を教えることで、「あしき事をいましむる」という「義方の教え」を強調する。
もっとも、益軒の思想は、必ずしも人倫世界(人間の道徳の世界)のみを対象としたものではなかった。人としての正しいつとめである「人の道」は、「天地の恩」に報い応えるという「報恩」のうちに見いだされるという益軒は、「天地の心」に随(したが)うという生き方を自らの理想とした。
「人は天地の子なり。天地を法(基準)として行ふべし」「天は常にめぐりてやまず。人これにのっとりて、つねにつとめてやまざるべし」(『大和俗訓』巻三)という益軒の思想は、「心は楽しむべし。苦しむべからず」(『養生訓』)という人生観へと連続している。
戦前の国定修身教科書の教材では、益軒が数多く取り上げられた。たとえば、「寛大」の徳目では、大切な牡丹(ぼたん)の鉢を壊した弟子を師・益軒が許す場面が次のように描かれている。《書生は何と言つて叱られるかと思つて、身をちヾめてゐました。ところが、(中略)益軒は静かにかう言ひました。『私は、楽しむために牡丹を植ゑておきました。牡丹のことでおこらうとは思ひません』》
この言葉には、「心は楽しむべし。苦しむべからず」という益軒の人生観が凝縮されている。
(武蔵野大学教授・貝塚茂樹)