【解答乱麻】元全日教連委員長・三好祐司
「いま、あなたの上に現れている能力は氷山の一角。真の能力は水中、深く深く隠されている」
これは岩国市出身の小説家、宇野千代の言葉である。私はしばしばこの言葉を生徒に紹介し、励ましの言葉としている。
さて、1カ月前のこと、一人の教え子が学校に尋ねてきた。中2の時、私が担任した生徒で、来春高校を卒業する。「地元の大手企業に就職が決まりました」と開口一番、就職の報告であった。そういえば、この子は中学時代とても優秀だったので、彼との進路相談はいつも大学進学を視野に入れたものだった。しかし、彼は工業高校へ進み、就職への道を選んだ。思うに親孝行な子だから、家庭への経済的な負担を考えたのだろう。
彼の話によると、高校では常に成績は1番だったらしく、会社には大学に行かせる制度があるので、その制度を利用したいとのことだった。彼の顔はとても誇らしく、希望に満ちたものであり、心からおめでとうと言った次第である。苦しいときでも泣き言を言わない彼なら、会社に入ってからきっと仕事と学問を両立させることだろう。
その数日後、数人の他校の中学生とひょんなことから話すことがあった。学校がおもしろくないこと、先生たちは自分たちを相手にしてくれていないことなど、ずっと彼らは不平不満を口にしていた。私は聞き役に回り、できるだけ彼らを受け入れて、言いたいことを存分に言わせた。しかし、話が変わり高校進学のことになったとき、「どうせ俺はもうだめだ」と言った瞬間、このときばかりは話を遮った。
「君がもうだめだなんて言うが、誰が決めたの?」「やってみて、がんばってみて、それでもだめだったの?」と矢継ぎ早に聞いてみた。返事はなく、黙り込んだ。彼らの話のほとんどは、不都合なことはすべて他人の所為(せい)であり、自分たちの努力や挑戦などかけらもなかった。
私は、この子たちが気の毒に思えてならなかった。この子たちのすべてを受けとめ、励ましてあげる大人が近くにいなかったのだろうか。もし、私でよければ、短い時間かもしれないが、この子たちを受け止め、励ましてあげたいとの思いで彼らの話をその後もしばらく聞いた。やがて、彼ら2人の気持ちも収まり、次第に素直な様子が見えてきた。
人は弱いものである。困難にぶつかったとき、ついつい愚痴を言い、くじけそうになる。自分にだけどうしてこんなことが起こるのだろうかと恨みに思う。悪いのは私ではないとその責任を他人に押しつけようともする。しかし、これで問題が解決することはない。自分に降りかかった問題は自分が引き受けるしかないと思い、苦しみをグッとのみ込み、努力をしてみる。これができれば、問題の多くは解決に向かって動き出す。とにかく一歩前に踏み出すことが幸せへの第一歩だ。
ただしかし、こんなことができるのは、自分自身を信頼できていること、つまり、自分には力があるのだと自尊感情があること。そして、周囲に自分を支え、励ましてくれる人がいること。この2つの条件さえあれば大丈夫である。
「君にはまだ水中深く深く隠された能力があるんだ」と言って励ましてくれる大人が近くにいれば、何とかなる。一人でも多くの子供たちを励ましたいものだ。
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【プロフィル】三好祐司
みよし・ゆうじ 山口県の中学校教諭。保守系の教職員団体「全日本教職員連盟」(全日教連)元委員長。