鈴鹿が一つになった瞬間。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【Formula1 2011】日本GP 

草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員奮励努力セヨ。 

【Formula1_2011】決勝レース前に君が代を歌ったのは、東日本大震災で被災したコーラスグループ

=10月9日、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット(ロイター)





■シーン1

 優勝したジェンソン・バトン(マクラーレン)は、感涙にむせぶ恋人の道端ジェシカさんと抱き合った。2位でチェッカードフラッグを受けたフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)は、1コーナー外側のセフティゾーンにはみ出し、観客席に近づいて手を振った。3位に入って2年連続ワールドチャンピオンを決めたセバスチャン・フェテル(レッドブル)は、コーナーでアクセルを踏み込んでスピンを誘発する“ドーナツターン”を披露した。方法は違ったが、それぞれのやり方で、日本への思いを表現した。

 ■秋空に響いた歌声

 スタート前の国歌斉唱は、いつも以上に心地よく青空にこだました。熱唱したのは、ザウバーの小林可夢偉(かむい)が、「被災地の子供たちにF1を見てほしい」と思い立って招待した少女たち。東日本大震災で被災した福島県南相馬市を中心に活動する少女合唱団「MJCアンサンブル」の、秋空のように遥かに透き通った歌声は、テレビを通じて全世界に届けられ、厳しい状況の中で力強く生きている日本の姿を広く伝えた。そこにいる全員が、一つになったことを感じていた。

 日本の秋といえば台風と無縁ではいられない。1976年から2年間、そして87年から連続25年間の日本GPは、ある意味、天気との戦いでもあった。しかし、今年は、その分をいっぺんに取り返したような晴天。清々しいウイークエンドになった。

■奇妙な符合

 土曜日の予選で、若干奇妙な符合があった。マクラーレンとフェラーリのそれぞれの2人が、思っていたのと反対の序列でグリッドに並んだのだ。

 マクラーレンは、アグレッシブなルイス・ハミルトンではなくバトンが前。フェラーリも、エースのアロンソではなく、フェリペ・マッサの方が速いタイムを記録した。これには、思い当たるフシがある。ピレリ・タイヤの特性だ。

 ピレリは、今年からブリヂストンに代わって全チームにタイヤを供給している。彼らの悩みは、FIA(F1規則を統括する国際自動車連盟)から「長もちしないタイヤ」を注文されたことだった。F1は300キロのレース距離で戦われる。仮に150キロ以上もつタイヤなら、1回交換だけでゴールできてしまう。そこでFIAは、レースを面白くする、という理由で、「110~120キロのタイヤライフ」を注文した。

 ライフを延ばす開発が命題のはずのタイヤメーカーに「短くせよ」という至上命令。ピレリは、総力を上げて“性能ダウン”のタイヤを開発するという奇妙な努力を強いられることになった。だが、それはそのまま、ドライバーとチームを混乱させる結果にもなっていた。

 ■シーン2 マッチしないタイヤ ツキに見放された可夢偉

 小林可夢偉は、今年のタイヤを「ワケが分からないです」と表現して肩をすぼめた。ハナから無理やりひねり出したタイヤ。特性が不安定で、王道で攻めても安定したタイムが出ない。どうやら、豪快にマシンを振り回すようなアグレッシブな運転に、今年のピレリはマッチしないことが見えてきた。

■スタートの「失敗」

 その状況で、小林可夢偉が予選で7番手を奪ったのは新鮮な驚きだった。ザウバー車のポテンシャルから、13~14番手がいいところとみられていたからだ。

 そしてピレリ・タイヤで走る鈴鹿は、アグレッシブな走行スタイルの可夢偉が手を焼くはずだった。だが小林可夢偉は、その訳知り顔の洞察をあざ笑うかのように、ファンの期待以上の見事なアタックを決めてレースへの期待を高めてくれた。

 しかし、可夢偉のレースはスタートからツキに見放されることになる。可夢偉が乗るゼッケン16のザウバー・フェラーリは、猛然とダッシュするライバルの中で、一瞬もたつき、1コーナーに差しかかったときには、5台に抜かれていた。スタートの“失敗”だった。

 F1カーのスタートは、市販車のそれとは若干異なる。アクセルを踏んでクラッチをつなぐ基本方式は同じだが、そのモード、例えばエンジンの回転数は、チームがドライバーに指示し、それに合わせてドライバーが手元のレバーで信号を送ってクラッチを操作する。つまり、ドライバーが調整できない。チームが可夢偉に出した指示ではエンジン回転が低すぎたのだ。結果的にその微妙なズレで、エンジン回転が足らずに推進力がタイヤのグリップに負け、エンストしそうになったのだ。

 いつもと違う7位という上位グリッドが原因だった。前方グリッドでは、スタートの瞬間に、いつもと違う現象が起きている。

予選のタイム順に隊列を組んでコースを1周して再びグリッドに並び、スタートの合図を待つ。したがって、グリッドが前に行くほど、グリッドに停車している時間が長くなる。7番手といういつもより前のグリッドで身構えた可夢偉は、いつもより長くグリッドに留まることになった。

 ■テクノロジーのいたずら

 その間、クルマを蛇行させて100度ほどに温められたタイヤの温度は、ジワジワと下がり始める。チームは温度降下を予測して、ドライバーにスタートの“モード”を伝える。その予測がかすかに外れ、チームの想定よりも、タイヤ温度の下降が少なかったのだ。

 タイヤ温度が高い分だけタイヤは柔らかく、つまりはグリップが高くなる。結果として想定したエンジン回転では、そのグリップに負けて、エンストしそうになり、だから可夢偉は出遅れた。最新鋭のテクノロジーは、ときとしてこういういたずらをする。

 可夢偉は、タイヤ交換のタイミングもマッチせず、苦しいレースを終え、「ファンの前で、あまりいい走りができなかった」と肩を落として申し訳なさそうにつぶやいた。誰よりも日本に勇気を届けたいと願っていたというのに。

 2011年日本GPは、熱い感動とともに、冷徹な戦いとして、深く記憶されることになった。

                   ■□■

 ≪フェテル総合V≫

 レッドブル・ルノーのセバスチャン・フェテル(ドイツ)が3位に入り、2年連続2度目の年間総合優勝を決めた。レースはマクラーレン・メルセデスのジェンソン・バトン(英国)が制し、今季3勝目で通算12勝目。2位はフェラーリのフェルナンド・アロンソ(スペイン)だった。自己最高の7番手スタートだったザウバー・フェラーリの小林可夢偉は13位に終わった。(文:STINGER編集長 山口正己/撮影:AP、ロイター、Jiri Krenec/SANKEI EXPRESS)

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 ■やまぐち・まさみ 1951年、神奈川県生まれ。大学在学中の76年、富士スピードウェイで行われた日本初のF1世界選手権から取材に関わり、卒業と同時にモータースポーツ専門誌「月刊オートテクニック」編集部員。87年、他社に先駆けたF1速報誌「GPX」を創刊。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員などを務めた。一昨年3月、マルチメディア「STINGER」を立ちあげた。

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【Formula1_2011】ポールポジションから飛び出したレッドブルのセバスチャン・フェテルを先頭に、第1コーナーに入るまで激しいポジション争いが繰り広げられる

=10月9日、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット。(C)Jiri_Krenec




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