「過去精査」「歴史重視」の外交を! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。




何か事が起こる、起こされる。
意味不明の苦情が寄せられる。
「過去がどうの、歴史がどうの」と一方的に騒ぎ出す。
そして、よく分からない「外交決着」とやらが計られる。
そこで「未来志向の二国間関係を」という御題目が唱えられる。

半世紀以上の長きに渡って、延々とこのループを繰り返してきた。
未来志向の「未来」とは何時のことだ。
何時を基点とした未来の話だ。
永遠に来ない未来のことか。
明日は今日の未来なのか。
明日になれば、また未来は遠ざかるのか。

「未来志向の外交」とは一体何だ。
相手側が勝手にそう呼ぶのはよい。
しかし、何故我が国が「未来志向」である必要があるのか。

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まるで我が国の過去に、「隠さねばならぬこと」があるような話ではないか。我々が「未来」という言葉を使う時、それは希望に溢れた「輝かしい未来」を意味するのであって、都合の悪い過去を隠し、歴史をねじ曲げ、嘘で事実を書き換えようとする、その「目眩ましの為の未来」では断じてない。

我が国は過去を精査し、歴史を重視し、調べられることは徹底的に調べて、白黒の決着をつける「過去精査の外交」を望んでいる。何も絶対無謬を唱えているわけではない。都合の悪いこともあるだろう。隠しておきたかったことも出て来るだろう。しかし、善いも悪いも全て含めて、全世界に公表するだけの気構えはある。その準備もある。

ただし、外交の基本は「相互主義」である。これに賛同する国は全て同じ基準、同じ尺度で過去を精査して頂く。善いも悪いもさらけ出して頂く。歴史の捏造や改竄は絶対に許さない。それは我が国に課せられた使命であると同時に、相手国にも同様の使命感を持って取り組んで頂く。それが嫌なら大口を叩くな。

蛮行だ、差別だと騒ぐ口があるのなら、その証拠を出して頂こう。第三者、第三国が評価し、その子細を調べるに値するだけの物的証拠を出して頂こう。全て公開でやろう。徹底的にやろうではないか。

「未来志向」などという腰の据わらぬ話は、もう沢山だ。
これからは「過去指向」「過去精査」の時代にしよう。

関東大震災の時に何があったのか。敗戦後のどさくさに何があったのか。大陸の残留孤児が語られる中で、全く「残留者」が居ない国があるのは如何なる理由からか。何時、何処からやって来たのか。何を根拠に今居るのか。何を根拠に保護されているのか。蛮行だ、差別だと騒ぐのなら、その証拠を出して貰おう。

難しい問題は、先の世代に任せて「棚上げ」にしようと微笑む国がある。難しい問題を棚上げにしようと言いながら、さらに難しい問題を惹き起こしているのは何処の国だ。事前の話合いも、警告も無視して、領土紛争をでっち上げようとしているのは何処の国だ。見せかけの留学生を裏で操り、組織的暴動を起こしたのは何処の国だ。

民主主義を謳い、紳士を気取りながら、多くの植民地を経営していた。遠路遙々我が国まで押し寄せて来て、薩摩藩に反撃されたのは何処の国だ。全世界を震撼させたガス室による大量虐殺事件を矮小化させる為に、必死に我が国を叩いているのは何処の国だ。そして、大勢が決した中で、二度に渡ってまで「新型爆弾」を民間人の頭上に落としたのは何処の国だ。大いに過去を精査しようではないか。

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反省も過去の精査も、全ての国が同じように行うべきである。
その前提があってこその他国批判である。
やる気ならどうぞ、おやりなさい。
本気でやるなら我が国は決して逃げない。
我が国民は決して誤魔化さない。

ありとあらゆる歴史的事実を積み上げて、その時代の人間の倫理感に照らして、なお問題があるのなら、応分の反省をしよう。応分の謝罪をしよう。ただし、これまでのような、一方的なものはお断りだ。この地上に天使の如き民族を捏造し、神の視座から断罪するような異常な立場は認めない。同じ人類の一員として、恥じるべきは恥じる、相互理解の進展の為に反省すべきは反省する。それが生産的な行為なら、全人類が共に立って、偉大な事業を成し遂げようではないか。

「未来志向」を唱える者にこそ、後ろめたさがある。
隠したい過去がある。
隠したい過去がある者こそ、相手の過去を執拗に罵る。
在るか無いか、それすら定かでない事でも、声一杯に叫び出す。

「それは鏡だ!」と、我々はもう知っているのである。
自分の非を隠す為に、相手を罵り、相手に罪を着せる。
百回吐いても嘘は嘘である。

御陰様で「そこに一回の真実が含まれていても、それも嘘だ」と思うようになった。まさに自業自得とはいえ、実に哀れな話ではないか。何を話しても嘘だと思われ、何をしても裏があると思われ、それを国が支援し、国挙げて、全民族を挙げて嘘を吐き通していると思われているのだ。膨大な国費を費やして、嘘を全世界に広めている。名前を偽り、身分を偽り、国籍を偽り、顔面工事で姿形まで偽って、朝から晩まで嘘を吐く。人類史に残る虚偽国家である。

「レイシスト!」と叫ぶなら、自らがそうでないことを示さねばならない。レイシストに対してレイシストと叫ぶことを封じられるなら、誰が本当の、本物のレイシストか分からなくなる。黙っていればレイシストにされる。最もその傾向の強い連中に、まんまと嵌められてしまう。

我々はそうでないことを証明出来る。米国の諸君、欧州の諸君、一年でも半年でもこの地に住みたまえ。身をもって体験したまえ。文化の違いを理解し、さらにその上で我が国に諸君の母国を上回る人種差別があるのか、無いのか。今や世界規模で為されている政治プロパガンダを無批判に信じ、文化の相違を認めず、実体験も無く、検証する意欲も意志も無いのなら、他国の人間に干渉などせぬことだ。

東アジアでは声の大きいものが有利になる。何故なら我々はそうした見苦しい態度が嫌いだからである。相手の立場を思うが故に、これまで静観してきたのである。疾しさ故に沈黙していたのではない。暴かれて困る過去があるから沈黙していたのではない。下品な罵り合いが嫌いなだけである。しかし、何時までも沈黙に徹するつもりはない。

過去の恥の曝し合いなら、堂々と受けて立つ。そんな未来を指向している。そこから逃げたいのはどちらなのか、そろそろ雌雄を決しようではないか。