「忠誠心」は普遍的道徳的価値。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【消えた偉人・物語】楠木正成




アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが、英訳の『忠臣蔵』を読んで、日本人の忠誠心の厚さに感銘し、日本への敬意を抱き続けていたという話を聞いたことがある。そういえば以前全米でベストセラーになったウィリアム・J・ベネット編著『道徳読本』(邦訳『魔法の糸』実務教育出版)にも、「忠誠心」という徳目が盛り込まれていた。現代のアメリカ人にとっても、「忠誠心」は道徳教育上必要とされる徳目なのだろう。

 忠誠心といえば、その精神を体現した代表的な人物として、昔の日本人だれもがその名をあげたのが楠木正成である。

 正成に対する崇敬心が国民的規模で高まったのは、江戸時代である。徳川光圀によって正成戦没の地・湊川に墓碑が建てられた。この石碑の拓本はよく売れたらしく、橘曙覧(たちばなのあけみ)はこれを「年々に 御墓の文字を すりふやし 写しひろむる 君の真心」と歌に詠んでいる。

 正成人気は武士だけでなく庶民の間にも相当浸透し、「太平記読み」という講釈に正成が登場する段になると客がどっと集まったという。吉田松陰は正成の墓の前で、「楠公の墓を拝して涕涙(ているい)禁ぜず」と述懐しているが、およそ志士と呼ばれる人たちの中で、松陰のような感懐を抱かない者はなかったといえるほど、正成崇拝には熱烈なものがあった。

幕末に来日した駐日イギリス公使パークスは、「楠木正成の誠忠に対し、一外国人として賛嘆を惜しまない」という趣旨の記念碑を明治9年、桜井の駅に建てている。桜井の駅で正成が息子・正行に「忠義を尽くすことこそ第一の孝行である」と遺言し、湊川の合戦で討ち死にした話にパークスは感激したのである。この話は戦前の修身の教科書に描かれ、唱歌「桜井の訣別」(作詞・落合直文、作曲・奥山朝恭)の中でも歌われた。

 人の道を守り、自らを超えて人のために尽くそうとした、その透き通るような忠誠心が人の心を打つのだろう。戦後、忠誠心は封建的・軍国主義的徳目とみなされてきた。しかし、「忠誠心」はこのように東西を問わず昔も今も変わらない普遍的な道徳的価値なのである。


                          (皇學館大学准教授 渡邊毅)