野田政権は「絶対無謬」の左翼政権である。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録  様のブログより。



国会が終わった。終わってしまった。

延長した国会において、野党は「何故、僅か四日間で国会を閉じようとしたのか?」と執拗に問い質した。その答はなんと「実際には閉じていない、今この場で延長しているではないか」という人を馬鹿にしたものであった。これが野田言うところの「正心誠意」の実態である。

この一ヶ月、特に今週の衆参予算委員会で明白になったことがある。
それは以下の三点に集約されよう。

 1:野田政権は徹底的な隠蔽体質である。情報開示は極小である。
 2:自ら一体と称した「政府・与党」を御都合主義で使い分ける。
 3:全閣僚共通の気質として決して自らの非を認めない謝らない。

これは見事なまでに左翼特有の「病気」である。自らの非を認めない、「絶対無謬」の独裁政治である。党に聞いてくれ、党同士でやってくれ、の一点張りで、徹底的に責任回避をする。話し合いとは名ばかりで、至る所に“強行採決”の臭いを充満させている。

珍答弁、明々白々たる誤解答をしておきながら、幾らそれを指摘しても謝ろうとはしない。言を左右にし、「今後の検討課題にする」などとふざけたことを言う。野党理事が委員長席を取り囲むまで平然としている。そして、議事進行の滞りに、議長が耐えきれなくなると「取り敢えず謝っておけ!」というサインが出る。それをまた議長が堂々と口にする。お馴染みの台詞「誤解を招いた“としたら”謝ります」で終了である。

民主党のクズの集積度はインテルも真っ青である。高密度クズ集団からは、次から次へと「人材」が湧き出してくる。官房長官のあのふてぶてしさは、今後必ず問題を惹き起こすだろう。野田自身も低姿勢を装っているだけで、他の閣僚が答弁中にしている仕草を見ていると、到底本気で議論に耳を傾けている態度とは思えない。

あらゆる言葉が虚しく、いやそれ以上にあらゆる言葉の意味が逆転している。「真摯に取り組む」と言えば「先送り」を意味し、「しっかりやる」と言えば「検討」を意味する。どちらも早急な対応は取らないのである。「一生懸命にやる」と言えばそれは「党内政局」の意味であり、「断固とした対応」とは「注視する」ということで、「注視する」とは「放置する」という意味である。

結局のところ、何もやる気の無い連中が集まって「大臣ごっこ」をしているのである。山岡や小宮山の態度の悪さは一体なんだ。カンニングは隠れてやるからこそカンニングなのであって、堂々と官僚を答弁席の横まで引き摺って、延々とレクチャーさせるなど、もはやカンニングのレベルではない、「窃盗の現行犯」である。

何を聞いてもダラダラ、ニヤニヤとして今教えられてことを鸚鵡返しにする。自分の席の前で醜態を演じられた玄葉は、流石に「これは堪らん」という顔をしていた。しかし、その有様を見ながらも、野田は「適材適所であり、これからも仕事をして貰う」という空疎な言葉を繰り返すのみであった。

内閣人事の酷さは顔ぶれを見た時から分かってはいたが、実際にその答弁を聞いてみると、想像を遙かに超える異常なほどの低レベルであり、しかも、山岡・小宮山・平岡・安住などの問題閣僚はその能力の低さ以上に、人間としての質が低い、委員会に臨む態度が悪すぎる。その職責の重さを全く理解していない証拠である。

究極の「逆さ言葉」は、野田の震災復興である。野田がこの言葉を使う時、そこに被災地の問題は入っていない。頭の中にあるのは、ひたすら「増税」のみである。増税の言い訳に、魔法の言葉として「被災地復興」を織り交ぜているだけである。

いよいよ世界同時不況が現実のものとなろうとしている今、「借金の先送りはしない」とか「財政再建である」とかいった子供染みたロジックは通用しない。これ以上景気が悪くなれば、借金を返済する力も、財政をコントロールする技術も失うのである。

国家の喫緊の課題を横にやり、自らの歪んだ信念にしがみついて、現実的な対応を取らない政権は左翼である。現実よりも理念を重んじ、理念よりも妄想にしがみつく。まさに左翼の真骨頂である。

この期に及んでなお、「子供手当は無くなりません」などというビラを政党幹部が配っているのである。自爆し自滅するのは勝手であるが、これ以上国民の生活を巻き込むことだけは止めてくれ。「国民の生活がなんとか」というフレーズを、我々国民に何の相談も無く勝手に使うな。

現状の支持率の実態は、おそらく30%前後であろう。後は下がるだけである。一日も早く解散総選挙に追い込み、世界同時不況への対策が取れる「まともな内閣」を早急に作らねばならない。