人・カネ、流出やまぬロシア | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【湯浅博の世界読解】




1975年にベトナム戦争が終結すると、小型船でインドシナ地域から海外へ亡命しようとするボートピープルが絶えなかった。彼らは決して貧乏に絶望したわけではなかった。共産党という新たな支配者の厳しい政治によって、ベトナムの将来に希望が持てなくなったからだ。

 実際に、米国で会った何人かのボートピープルは、大学で高等教育を受けていた。やがて国防総省顧問に就任した人物もいれば、米大手通信メーカーの幹部になった者もいた。

 孔子はこれを「苛政は虎よりも猛し」といった。孔子の生きた春秋時代に、苛酷な政治の及ぼす害悪は猛獣よりも怖いさまを述べた。いまはこの「苛政」によって、ロシアからヒトとカネが海外に流出している。

 現在のロシア経済は決して悪くはない。英誌エコノミスト(9月10~16日号)によれば、2008年の金融危機でロシアも打撃を受けたが、主力の石油価格は前年比で1.5倍にふくらんだ。インフレも収まりつつあり、消費も雇用も堅調なのである。

 それにもかかわらず、昨年の純資本逃避は340億ドルにもなっている。米国に留学したロシア人の科学系学生の7割以上が母国に帰らない。石油依存体質のプーチン政治の定着で、投資環境が劣悪になっているからだと同誌はいう。

 ロシア経済はプーチン体制下で輸出収入に占める石油・ガスの割合が3分の2になったが、その大半は生産量の増加よりも価格高騰によってもたらされた。

ロシア支配層の多くは治安関係者出身であり、彼らは競争よりも統制を重視する。その結果、社会は安定するが経済人や意欲ある若者から希望を奪ってしまう。メドベージェフ大統領の政権下にしてそうだから、プーチン首相が再び最高権力者につく向こう12年間はさらに加速しそうだ。

 ロシアの奇妙な名目民主主義は、プーチン首相が一時的に預けておいた大統領ポストを、メドベージェフ氏から返納してもらってゲームが終わる。来年3月の大統領選では、最大与党の「統一ロシア」が圧倒的に強いから、先の党大会によって権力の継承は約束されたようなものだ。世にも不思議な政治劇の幕引きである。

 プーチン氏はこの継承について、「ずっと前から合意ができていた」のだといった。2人だけの政治談合や密約が成立していたということだ。ふつうの民主国家なら非難ごうごうだが、メディアはすでに政府の統制下にある。

 早くも米欧の研究者は暗いブレジネフ時代の再来を予言している。くれぐれも、プーチン氏がメドベージェフ氏よりアジアの知識が多いことをもって、北方領土の返還に淡い期待を持たない方がよい。

 玄葉光一郎外相がロシアの北方領土領有を「法的根拠なし」と発言すると、ロシア政府は締結もしていないサンフランシスコ講和条約を持ち出して否定した。日露間に平和条約が結ばれていないのは、領土問題があるからだとの事実を無視している。

 国際的な規範意識が薄い国柄なのだ。ロシア国内に経済的な不満が充満してくれば、プーチン氏はナショナリズムをあおって強硬な対外路線をとる可能性が高くなる。日本の弱体政権と経験の浅い外相を相手に、やがて高い正札をつけてこよう。


                                    (東京特派員)