遺骨帰還事業は“国の責務” | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【40×40】笹幸恵




8月下旬、ガダルカナル島に2週間滞在した。目的は『丸山道』での未送還遺骨の調査および情報収集である。『丸山道』とは、昭和17年10月、第二師団が飛行場を奪回するために進撃した密林の迂回(うかい)路である。師団長の名を取って『丸山道』と呼ばれていた。大本営参謀の辻政信は、「密林障碍(しょうがい)の度は予想以上に軽易なり」と作戦部長に打電したが、実際のジャングルは蔓(つる)あり棘(とげ)あり大木あり。木々を伐採し一列縦隊で進むのがやっとの道だった。総攻撃後、兵士たちは、ある者は壮絶な戦死を遂げ、ある者は同じ道を食料もないまま引き返し、ある者は途中で力尽きた。

 私は十数人の有志とともに、アウステン山の南側から『丸山道』へと入り、野営しつつ調査活動を行った。木々の合間を縫い、密林を歩き続けた。それとて『丸山道』のごく一部にすぎないが、第一野戦病院跡地を中心に25柱の遺骨を発見し、厚生労働省の応急派遣団に引き渡すことができた。

 現在の遺骨帰還事業は、遺族援護の観点から行われている。平たく言えば、遺児たちのための事業である。しかし南方で炎天下を歩き回り、穴を掘り続けるには体力が要る。そろそろ若い世代へのバトンタッチを考える時期ではないだろうか。ちなみに『丸山道』の調査に参加したのは20~40代の若い世代が中心である。

民主党政権では昨年、硫黄島における遺骨帰還の特命チームを編成し、今年7月、硫黄島派遣の個人ボランティアを5人募集した(現在は延期)。しかし実際、主な参加は遺族や戦友団体である。一般から5人などとケチくさい。しかも「将来の指導者層として協力いただける方」とある。指導者育成ではなく、若者の歴史教育の一環というぐらいの心づもりで、幅広く募集したらどうか。どこの馬の骨かわからないなら、面接後もじっくりコミュニケーションを取っていけばいい話だ。そのぐらいの時間の確保と予算計上くらい、「特命チーム」の言葉を借りるなら“国の責務”である。


                                  (ジャーナリスト)