風評被害の元凶を撃て!! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




被災地の復旧、復興を願わない日本人は居ない。
居るとすれば、それは「日本人ではない」。
これは国籍云々の問題ではない。

国会議員ですらその国籍を疑われ、自ら進んでその出自を明らかにしようとしない現状では、議論は泥沼に入り込むばかりである。過去三代に渡る国籍の紹介を願いたいものである。

しかし、さらに根深い問題は、帰化人でもなく、成り済ましでもない普通の日本人が、イデオロギーの奴隷になって、あるいはそうした工作や思想、マスメディアの報道に引き摺られて、その考え方を歪められていることである。

「死のまち」私も実感…又市・社民副党首
 社民党副党首で富山県連代表の又市征治参院議員は17日、鉢呂吉雄・前経済産業相が東京電力福島第一原発の周辺自治体を視察した感想として「死のまち」などと表現して辞任したことについて「実態が『死のまち』だということは、私も実感として受け止めた」と述べた。
 その上で、原発事故をもたらした政治責任が問われるべきだとし、「言葉を使ったことがけしからんというのはおかしい」との持論を展開した。
 富山市内で開かれた自治労県本部の定期大会や党県連の常任幹事会で述べた。自身が7月上旬に同原発から20キロ圏内を視察したときの感想といい、「(事故後の現状は)原発推進をやってきた結果。死のまちと化すような事態を起こしたことが間違っている」と語った。
 鉢呂・前経産相の発言については「(被災者の)希望を失うことを言うべきではない」とも述べた。(2011年9月18日08時57分 読売新聞)

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110918-OYT1T00153.htm

今、被災地にとって最も苛烈な逆風になっているのが、所謂「風評被害」である。募金や様々な支援活動に参加することは出来なくても、この風評被害の拡散を阻止する、その「防波堤」になることは出来る。

その為には、その発信元を徹底的に潰さねばならない。個人の感想として『死のまち』だと思おうと、どうしようとそれは勝手である。それを自らの中に留めておく分には、何も言うまい。

しかし、それをブログやツイッターで拡散するとなると話は別である。ましてや、政治家がこれを言うことは決して許されることではない。にも関わらず、鉢呂に続いて、またまた馬鹿がしゃしゃり出て来た。「私がどう感じたか」などはどうでもいいのである。

敢えて言えば、それが「事実であるか否か」も問題ではない。風評被害とは、事実に「尾ひれが付いて」拡がるものだからである。虚偽なら当然であるが、たとえそれが事実であっても、一面的な評価であることを免れない以上は、厳に慎むべきである。ましてや個人の感想などと言って、言い逃れ出来るものではない。

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デモ嫌いのはずのマスコミが速攻で取り上げるデモもある。人数は水増し、カメラアングルは下から、常に多数の中に紛れ込んで、その盛況ぶりをアピールする。

それでも「反原発運動」は間もなく下火になるであろう。

真面目にエネルギー問題を考え、原発の存否を議論したい人達には、本当に迷惑な話である。国家の将来、私達の暮しの原点を議論するべき絶好の機会を、彼等が潰していくのである。あらゆることを政治闘争の材料にし、自らのイデオロギーの為には、風評被害が出ようと、何が起ころうと平気な異常者達の御蔭で、真の議論は封じられる。

要するに彼等は、人が死のうと、産業が潰れようと、故郷に二度と住めない人達が出て来ようと、そんなことにはお構い無しなのである。自分達の政治活動に利用出来るものは何でもするのである。被災民に寄せる「同情」の万分の一でも、拉致被害者家族に示したことがあるか。

広島、長崎で味をしめた連中が、「フクシマ」なる表記を如何にも嬉しそうに使っている。実際に福島の人達が「止めてくれ!」と叫んでいるのに、全く平気である。それに引き摺られて、ツイッターなどでも軽い気持ちで、こんな悪質な表記を使っている人が居る。これも「風評被害の拡散」に重大な貢献をしていることに気づいて欲しい。


彼等は、日本人が死ぬことが嬉しくて堪らないのだ。
日本の産業が滅びることが楽しくて仕方ないのだ。

権力が倒れ、自らのイデオロギーが再び世を席巻し、それに従う者は奴隷として扱い、それに反発する者は殲滅する。自分達が理想とする真っ赤な国家、「国家ならざる独裁政権」を樹立出来ればそれでいいのだ。その為に今「原発」が利用されているのである。

「花王」や「フジ」にデモをするなら、「東電に行け!」と叫ぶ連中が居る。経営トップは別にして、今の東電にデモを仕掛けて何があるというのだ。事故を起こしたのも東電なら、その収拾に全力を挙げ、命を掛けているのもまた東電の社員である。そして、不思議なことに何故、「本丸の東電に行け」と叫ぶ連中は、「真の本丸」である民主党本部へ行けとは言わないのか。

今の政府の無為無策を批判して、「政権を倒せ」とは言わないのか。何処かで繋がっているからだろう。少なくとも東電は「反日企業」ではない。「反日企業」として目標にされた対象は擁護する。反日の本丸たる民主党は批判しない。彼等の紐帯は「反日」なのである。

日本の不幸を「蜜の味」とする連中である。日本の基幹産業を潰し、被災地の復興を遅らせる為には、何でもする異常者達である。よく見極める必要がある。国家の将来を思う「反原発」もあれば、解体を目論む「反原発」もあることを。

今の多数派は後者である。反原発の反は「反日の反」である。反日の反なら、日本にある全てのものに「反」が付く。その一つが原発に過ぎぬという話である。そもそも国家の将来を憂う者達が、防護服のコスプレに興じ、路上で裸で踊るはずもない。組合や組織体の幟ばかりを乱舞させ、「ヒロシマ」だの「フクシマ」だのと書くはずがないのである。