「夕刻の備忘録」 様のブログより。
閣僚が就任後一週間余りで辞職した。
そんなことには何の驚きも無い。
自民党時代から散々見せられてきた定番の光景である。
記者クラブと称するチンピラどもの言葉狩りと、何を根拠にしているのか分からない強圧的な物言いだけが目立って、かえって辞任する閣僚の無能振りと非常識が控え目に見えるほどの荒んだ辞任会見であった。間もなく民主党は得意の言論統制で対抗するだろう。
何事も無く普通に暮らしている国民にとって、突然「本職」が目の前に表れて、脅しを掛けられれば、それはもう事件である。しかし、それを取り締まる刑事もまた、あたかも「本職」であるかのような風貌をしている。なかなか見分けがつかないのである。
そして、先日「引退」とやらをしたタレントも、その発言の端々に「後ろ盾」があることを匂わせている。そういえば、かつてボートと喧嘩で名を馳せた「天才漫才師」も、今の財務大臣をも凌ぐミニチュアであり、何処からあれだけの威圧的発言が出来るのか不思議でならない存在であった。余りにも貧弱な体躯でありながら、大声で吠える人間を見れば、大抵の人はその「後ろ盾」の存在を気にするものだ。
さらに見分けがつかないのがマスコミ関係者である。格闘技の経験があるわけでもなく、タレントのように機転が利くわけでもない。もちろん非合法な「後ろ盾」などあるはずもない。要するに力も無ければ、頭も無い、裏社会の支えも何にもない筈なのにあの横暴振りである。繁華街で擦れ違い、飲み屋で隣席に座られ、事件現場で鉢合わせした時、それが果たして「本職」なのか、取り締まり側なのか、はたまたタレントなのかマスコミなのか、正確に区別出来る人はいないだろう。
捜査の関係上、そうした人物と付き合わざるを得ず、また周囲からは「本職か?」と間違われるぐらいの方が、色々と調べ易いという事情がある刑事は除いて、残りの人種はことごとく、我々が「誤解することを前提に」脅しを掛けてくる。そして、実際にそうした人物が背後に控えていることも稀ではないのである。
結局は、虎の威を借る狐なのである。マスコミに至っては、その借り物の虎自体が「安手の縫いぐるみ」であり、まさに子供騙しの仮装行列なのである。
★ ★ ★ ★ ★
しかし、本当に驚くべきは、この一週間で前政権の中核である三人が揃いも揃ってマスコミに登場し、己の弁護に終始したことである。先の記事で寺田の所業に呆れ果てたことを書いたが、なんのなんの、官房長官に総理大臣まで出て来て必死の弁解をしている様は、まさにこの世の終わりであり、寺田如きの対応を批判したことを詫びたいほどの気分である。
退陣後一週間で内幕を話すその軽薄さ、それは一週間前も一年前も全く同じ軽薄さであったことの証明である。生まれ落ちたその瞬間から軽薄であったことの証明である。そのことに気づきもせずに、幼稚極まる自説を開陳し、時系列の検証も再確認もせずにしゃべりまくる。「当事者の言うことだから間違いない」と考える「善意の国民」を、再び騙そうとしているのである。
何処かに首を忘れてきたのか、と思わせる前官房長官の神妙な座り方は何を意味しているのか。かつての不遜な態度は役職故のものであり、「本当はこんなに謙虚で、好い人なんですよ」との宣伝戦略であろう。しかし、口から出ることは、雑な記憶と、雑な論理と、雑な話術による、極めて稚拙な自己弁護に過ぎないものであった。
「総理も私も隠していた情報は何も無い」「結果において隠されていた問題があり、その点に関しては情報の管理が出来ていなかったと言える」として、部分的には反省しているかのような芝居を打っていた。
情報の掌握に失敗した国家のトップが、それを「情報が上がってこなかった」ことを理由にしている。この段階で、「空前絶後の大失言」なのである。しかし、首無し男にはそんな風情は微塵も感じられない。むしろ、完璧な自己弁護を為し得たつもりでいるようである。
情報が官邸に上がらなかったのは自業自得である。普段から、上がってきた情報を自分の好き嫌いで勝手に握り潰し、それを持ち込んだ人間を怒鳴りつけているようでは、当り前の結論しか出ないだろう。
宝籤を買ってこいと言われて、長い列に並んでようやく手に入れたものを、「誰がこんな籤を買ってこいと言った。当たり籤を持ってこい。俺は当たりが欲しいんだ!」と叫んでいるようなものである。部下が従わないのは、上司の無能が原因であり、それを退陣後の日も経たない中から、「部下の責任である」と押し付けるのは、信じられないレベルの人格破綻者である。情報が集まらなかった、その全ては己の人徳の無さ、政治的な力量の無さによるものである。
人間的な不信感を増大させることで、敵陣営を攪乱し、それによって自らを大きく見せて地位を得た虚飾の輩である。今さら人を信用することも、人に信頼されることもない。全ては「官邸抜き」で動いていたのである。その責任は、周辺がそのように動かざるを得ないように、日頃から相互不信感を植え付けて、忠誠を競わせていた総理と官房長官にある。これ以上の言い訳がしたければ法廷でやってくれ。
そちらがそこまでバラすのなら、こちらも黙ってはいないぞ、と手ぐすねを引いて待っている人達もいるだろう。世の中には「メモ魔」がいるのである。ましてや原子力関連施設には、気質的にも職業的にも、刻々の変化をメモしている人がいるはずである。短い時間の自らの発言の中でさえ整合性の取れないことを話す連中である。本物のメモ魔達の餌食になることは間違いない。一日も早くその日が来ることを願う。
そんなことには何の驚きも無い。
自民党時代から散々見せられてきた定番の光景である。
記者クラブと称するチンピラどもの言葉狩りと、何を根拠にしているのか分からない強圧的な物言いだけが目立って、かえって辞任する閣僚の無能振りと非常識が控え目に見えるほどの荒んだ辞任会見であった。間もなく民主党は得意の言論統制で対抗するだろう。
何事も無く普通に暮らしている国民にとって、突然「本職」が目の前に表れて、脅しを掛けられれば、それはもう事件である。しかし、それを取り締まる刑事もまた、あたかも「本職」であるかのような風貌をしている。なかなか見分けがつかないのである。
そして、先日「引退」とやらをしたタレントも、その発言の端々に「後ろ盾」があることを匂わせている。そういえば、かつてボートと喧嘩で名を馳せた「天才漫才師」も、今の財務大臣をも凌ぐミニチュアであり、何処からあれだけの威圧的発言が出来るのか不思議でならない存在であった。余りにも貧弱な体躯でありながら、大声で吠える人間を見れば、大抵の人はその「後ろ盾」の存在を気にするものだ。
さらに見分けがつかないのがマスコミ関係者である。格闘技の経験があるわけでもなく、タレントのように機転が利くわけでもない。もちろん非合法な「後ろ盾」などあるはずもない。要するに力も無ければ、頭も無い、裏社会の支えも何にもない筈なのにあの横暴振りである。繁華街で擦れ違い、飲み屋で隣席に座られ、事件現場で鉢合わせした時、それが果たして「本職」なのか、取り締まり側なのか、はたまたタレントなのかマスコミなのか、正確に区別出来る人はいないだろう。
捜査の関係上、そうした人物と付き合わざるを得ず、また周囲からは「本職か?」と間違われるぐらいの方が、色々と調べ易いという事情がある刑事は除いて、残りの人種はことごとく、我々が「誤解することを前提に」脅しを掛けてくる。そして、実際にそうした人物が背後に控えていることも稀ではないのである。
結局は、虎の威を借る狐なのである。マスコミに至っては、その借り物の虎自体が「安手の縫いぐるみ」であり、まさに子供騙しの仮装行列なのである。
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しかし、本当に驚くべきは、この一週間で前政権の中核である三人が揃いも揃ってマスコミに登場し、己の弁護に終始したことである。先の記事で寺田の所業に呆れ果てたことを書いたが、なんのなんの、官房長官に総理大臣まで出て来て必死の弁解をしている様は、まさにこの世の終わりであり、寺田如きの対応を批判したことを詫びたいほどの気分である。
退陣後一週間で内幕を話すその軽薄さ、それは一週間前も一年前も全く同じ軽薄さであったことの証明である。生まれ落ちたその瞬間から軽薄であったことの証明である。そのことに気づきもせずに、幼稚極まる自説を開陳し、時系列の検証も再確認もせずにしゃべりまくる。「当事者の言うことだから間違いない」と考える「善意の国民」を、再び騙そうとしているのである。
何処かに首を忘れてきたのか、と思わせる前官房長官の神妙な座り方は何を意味しているのか。かつての不遜な態度は役職故のものであり、「本当はこんなに謙虚で、好い人なんですよ」との宣伝戦略であろう。しかし、口から出ることは、雑な記憶と、雑な論理と、雑な話術による、極めて稚拙な自己弁護に過ぎないものであった。
「総理も私も隠していた情報は何も無い」「結果において隠されていた問題があり、その点に関しては情報の管理が出来ていなかったと言える」として、部分的には反省しているかのような芝居を打っていた。
情報の掌握に失敗した国家のトップが、それを「情報が上がってこなかった」ことを理由にしている。この段階で、「空前絶後の大失言」なのである。しかし、首無し男にはそんな風情は微塵も感じられない。むしろ、完璧な自己弁護を為し得たつもりでいるようである。
情報が官邸に上がらなかったのは自業自得である。普段から、上がってきた情報を自分の好き嫌いで勝手に握り潰し、それを持ち込んだ人間を怒鳴りつけているようでは、当り前の結論しか出ないだろう。
宝籤を買ってこいと言われて、長い列に並んでようやく手に入れたものを、「誰がこんな籤を買ってこいと言った。当たり籤を持ってこい。俺は当たりが欲しいんだ!」と叫んでいるようなものである。部下が従わないのは、上司の無能が原因であり、それを退陣後の日も経たない中から、「部下の責任である」と押し付けるのは、信じられないレベルの人格破綻者である。情報が集まらなかった、その全ては己の人徳の無さ、政治的な力量の無さによるものである。
人間的な不信感を増大させることで、敵陣営を攪乱し、それによって自らを大きく見せて地位を得た虚飾の輩である。今さら人を信用することも、人に信頼されることもない。全ては「官邸抜き」で動いていたのである。その責任は、周辺がそのように動かざるを得ないように、日頃から相互不信感を植え付けて、忠誠を競わせていた総理と官房長官にある。これ以上の言い訳がしたければ法廷でやってくれ。
そちらがそこまでバラすのなら、こちらも黙ってはいないぞ、と手ぐすねを引いて待っている人達もいるだろう。世の中には「メモ魔」がいるのである。ましてや原子力関連施設には、気質的にも職業的にも、刻々の変化をメモしている人がいるはずである。短い時間の自らの発言の中でさえ整合性の取れないことを話す連中である。本物のメモ魔達の餌食になることは間違いない。一日も早くその日が来ることを願う。