【宮家邦彦のWorld Watch】
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110908/amr11090808060001-n1.htm
早いもので、米中枢同時テロ発生から10年がたとうとしている。当時は人が集まれば、「あの日、どこで何をしていたか」が話題となり、「9・11事件で世界は変わってしまった」といわれたものだ。あのテロ事件は一体何だったのだろうか。
2001年当時、筆者は北京の日本大使館に勤務していた。世界貿易センタービル崩落を映すCNN生中継を自宅で女房と見ていた。テロ専門家がウサマ・ビンラーディンとアルカーイダに言及するのを聞いて、戦慄を禁じ得なかった。
アルカーイダという組織名はその時初めて知ったが、ウサマという人名は前から聞いていた。1997年アフガニスタンのカンダハルに出張した際、現地を案内してくれた国連関係者から近く市内の新築住居にウサマ一族が引っ越してくると言われたのを思い出す。
「ウサマはまだスーダンにいるんじゃないの?」と質問したら、「もう追い出されてアフガニスタンにいるらしいよ」との回答。今でこそ有名になってしまったが、97年当時、「カンダハルのウサマ・ビンラーディン」は知る人ぞ知るテロ関連オタク情報であった。
9・11事件に対し北大西洋条約機構(NATO)は集団的自衛権を発動し、2001年10月にタリバン政府を崩壊させた。さらに、2003年米国はイラクのサダム・フセイン体制に対し攻撃を開始した。厳密にいえば対イラク戦争はテロとの戦いではなかったが。
確かに米国内は大きく変わった。国土安全保障省が新設され、空港での身体検査も格段に厳しくなった。しかし、幸いなことに9・11以降、大規模なテロ事件は発生していない。振り返ってみれば、世の中もブッシュ政権が主張したほど変わってはいない。
むしろ変わったのはアルカーイダの方だ。9・11事件前後、ウサマは米国内での大規模テロに固執していたが、幹部の多くは米国の報復によるタリバン政権崩壊を恐れ、ウサマの計画に反対したそうだ。案の定、結果は彼らの恐れた通りになってしまった。本年5月1日のウサマ殺害にもかかわらず、アルカーイダは攻撃を続けるだろう。だが、今後は9・11のような大規模攻撃ではなく、中東の各国、各地方での限定的テロが中心となる可能性が高い。アルカーイダはその歴史的役割を終えつつあるのだろう。
過去10年間で中東以上に大きく変わったのは東アジアの戦略環境だ。米国が9・11という強迫観念に取りつかれ、アフガニスタンとイラクで国力を消耗している間に、中国はノーチェックのまま政治、経済、軍事の各分野でその影響力を拡大してきた。
もし過去10年に世界が変わったというなら、日本にとってそれは、西太平洋における中国の台頭と米国の国力低下を意味するはずだ。過去10年間に米国が中東で「やったこと」よりも、東アジアで「やらなかったこと」の方が重要なのである。
今後10年、日本の政治指導者は、この新たな戦略環境の下、無用な対立と偶発的衝突を避けつつ、いかにして日本の平和と繁栄を維持できるかにつき、文字通り党派を超えて真剣に考えなければならない。
災復興と財政再建も重要だが、2001年のように不測の事態は突然やってくる。防衛費の増額、集団的自衛権の解釈変更、多角的な安全保障枠組みの構築などにも取り組まなければ、日本という国家に明日はない。われわれにとっては、これこそが9・11の教訓である。
【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。