あの夏の日は還らない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。



マスコミは総理の大罪「違法献金」「違法送金」の話は全くしない。
同じく「違法献金」で閣僚辞任した男を次期総理筆頭に挙げる。
引退した吉本芸人を庇う司会者が現れる。

今やマスコミは裏社会肯定、裏取引肯定、裏工作肯定である。

それはマスコミ自身が、裏社会であり、裏取引により生計を立て、互いに裏工作を遣り合う仲間同士で庇い合っているからこそ出来る、国民不在、真実不在の自殺行為である。今やマスコミは、様々な裏工作の手法を生で学ぶ生態観察所と成り果てた。

我々国民は、テレビの見方を変えたのだ。奴隷として働く人を哀れむ視線で、裏工作の果てにようやくその地位を得た人を蔑む視線で、その粗雑な画面を見るようになった。才能を意味する「タレント」という言葉が、まるで正反対の「芸NO人」へと変わってしまった。

漫才、落語、音楽、スポーツ、その他どのようなものであっても、多くの人の前に出て、「生で独りで勝負する」分野では誤魔化しが利かない。そこで発揮される「才能」には確かに敬意を払うべきである。しかし、「仕切が上手い」とは一体何を意味するのか。我々は、比較する尺度を持たないのである。「司会が上手い」とは如何なる意味なのか。

周りにいる人間は全てプロである。如何にレベルが低くともやはりプロである。そのプロ達を後ろに控えさせてする司会業は、プロ演奏家集団の前に立つ指揮者である。演奏家がプロなら指揮者は素人でも、格好だけはつく。どんなに無茶苦茶でも一応の音楽にはなる。しかし、逆は成り立たない。

テレビを見る側の人間は、プロをバックに司会をした経験など無いのである。会社で学校で仕切が上手いと呼ばれる人は、素人演奏家を束ねる素人指揮者であって、それ相応の実力を推し量ることは出来るが、プロ集団の指揮者、監督はよほど丁寧に見ていかないと、その力量を見抜くことは出来ない。単に演奏家達が素晴らしいということも多いのである。

そして今や、大物タレントと称する人間は、ほぼ全てが「司会業」である。指揮者である。「演奏家」に徹して孤高を護っているのはホンの僅かである。演奏家としての力量不足が、彼をして司会業に転身せしめた根本理由である限り、惜しむべき才はそこにない。そろそろ偽物に関わるのは終わりにしようではないか。

政界に目を転じても同様である。本物の才能の何たるかを知らず、考えもせず、「若さ」だとか「清新さ」だとかいった、目新しさだけを追い求めて、政治家を使い捨てにしてきた。挙げ句の果てが現在の与党である。素人丸出しの無経験、無定見を「若さゆえ」と甘やかし、経験が無いからこそ「可能性が大きい」などと、自らの主治医には絶対に期待しない、奇妙奇天烈な論理を振りかざして票を投じたのである。

多すぎるとは言うものの、一億国民に対して高々五百人程度の代議士である。選びに選び抜かれた人達のはずである。ところが、現実は全く反対を向いている。官僚というプロ演奏家達が後ろに控えているからこそ、リズムもテンポも無茶苦茶な稀代の音痴どもが大きな顔をして指揮台の上に立っていられるが、演奏家のレベルが下がれば、その実力が露わになる。彼等を地方議員に出向させ、中学校の、小学校の管理者に割り当てれば、大騒音を撒き散らすだけで、そこに「音楽」は一秒も存在しないだろう。それが彼等の実力である。

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その一方で、我々は本物の政治家、本物のプロを失った。
あれから丸二年。「全治三年」の中の二年がはや過ぎた。

経済に明るく外交に強い。
国を想うと同じく個人の力量にも光を当てる。
銃弾飛び交う戦地に赴き、軽やかに身を翻す。
マラリアの猛威に怯えることすらなく、平然と仕事を熟す。
会社の経営に参画し、若手経営者の代表として辣腕を振った。
オリンピック代表選手にして、カソリック総代。
総理大臣の孫にして、皇室の姻戚。

マンガ好きではない、本人の経歴がまさにマンガ的な、ほとんど有り得ないほどの「マンガ的人物」である。欧州でオリンピック代表選手が受ける待遇がどれほどのものか、カソリックの地域代表が受ける待遇がどれほどのものか、そして世界最古、唯一の天皇家の縁者が受ける待遇がどれほどのものか。それが政治家として、どれだけのプラス要素になるか、少し考えてみれば分かるはずである。それが我が国に齎す外交的成果は……

しかし、現実は如何なる小説よりもマンガよりも、悲劇的かつ喜劇的であった。真に国家を担う自覚も能力もある人達を追いやって、「金が欲しいか、そらやるぞ!」と螢の歌を歌い続けた犯罪者集団に将来を託した。その将来が「今」である。全治三年の二年が無為に過ぎ、全治は十年にも二十年にも延びた。ほとんど不治の病といってもいいレベルまで国益は損なわれた。

それでも裏社会に生きるマスコミ人は、相も変わらず有為の人を叩き、真面目に生きる人達を蔑み、無能を持ち上げ、犯罪者を養護している。人権救済法、取り調べの可視化、検察の弱体化、全ての策謀は加害者を助け、被害者を貶める方向へと動いている。法の番人が法を守らず、立法府の人間が法の何たるかを知らない。


全治三年、三年目の夏。
来年の夏は、果たして如何なる景色を見ることになるのか。

過去は変えられない。
変えられるのは今である。
今につながる明日である。未来である。

本物を求めて、真のプロを探して、彼等の稀有な才能に賭けて、新たなる代表を選ばねばならない。犯罪者の立て籠もり場所に成り果てた総理官邸を取り戻そう。日本奪還に向けて牙を研いでおこう。他の誰でもない、我々が彼等を倒すのだ!































スクープ!!宗田千絵の悪行!!
スクープ!!橋本弘文!!























スクープ!!市民の党・酒井 剛・前原誠司・海江田万里・島田紳助!!